表の家

飲み屋あれこれ松戸は楽しい51-54


54  最近はなかなか飲みに行けません


表の家を始めたのが2003年9月だった。当時はまだ40代で何をどうやって作って良いのか分からなかった。ただ、早い内に古老に出会う必要があるとは思っていた。

私の知名度は今でも相変わらず低い。出会った人にいきなり「昔の資料見せて下さい」と言っても、誰も相手にしてくれない。先ずは街を歩き、地形を見て、建物に入り、図書館に行って調べる事から始めた。

徐々にではあるが、松戸の街を歩く内に良き先輩方に出会い、アドバイスをいただき、昔の松戸の話を伺ったり、ご友人を紹介していただきネットワークも若干ながら広がった。

定年を過ぎてから始めようと思っていた事だったが、今始めないと聞取りをするお相手がどんどん居なくなってしまうという危機感から用意も何もなく始めてしまった。

40代の頃に出会った古老で体調が悪く外出しなくなった人、すでに鬼籍に入っている人も少なくないが、ある意味40代の頃に始めていてよかったと思っている。

図書館で調べていくと、何故あの頃、あのお店に行かなかったのか、この人にお会いしなかったのかと後悔する。

例えば、高砂通りにあった"バー金馬車"。香港から帰国した2000年頃はまだ営業していたと思う。

入り口の扉が空いていて中が見えるときがあった。正面にはバーカウンターがあり、そのバック壁は飾り棚なのか暗闇の中で光っていた。ただ、金馬車は何となく入りづらそうで二の足を踏んでいた。躊躇している間に時間が過ぎ、気がついた時にお店は無くなっていた。

後日、"バー・ルンルン"のマスター曰く「金馬車みたいな良い店を無くすようだと松戸もだめだよ」

ああ、行っておけばよかった・・・と思うのだが、後悔先に立たず。

1980年代に度々通った"バー・シャラント"は2000年頃にはすでに無かったが、跡地のルンルンにはシャラントのマスターが飲みに来ていたらしい。"バーシャラント"に通っていた頃、分不相応にも"夜の会議所リド"にも通っていた。リドは少なくとも2005年頃までは有ったが、いつのまにか廃業しちゃった。リドが廃業したのは西口飲食店組合の組合長である”しぐれ”のマスターから聞いた。女将が挨拶に来たらしい。リドに通っていた頃、バーテンをやっていたパンチパーマの佐藤さんは健在なのだろうか?私を「ヤマちゃん」と呼び可愛がってくれたっけ・・・

私の同級生の姉さん(Iさん)がリドで働いていたが、どうしているかなあ・・・Iさんとは何度も麻雀をした事があったよ。

金松堂裏に松戸のみ屋街がある。行ったことがあるのはニュー上州屋、カレー屋、飯島さんの中華居酒屋、ともこ、綱ちゃん、たぬき(金松堂さんは新しいビルに建て替えたが廃業しビルだけが残った)。

たぬきのママは客が居ない時によく外に向かってカラオケを歌っていたが、すでに廃業した。飯島さんのお店も違う人が営業している(飯島さんは元気)、綱ちゃんは鬼籍に入った。綱ちゃんに来ていた声の大きい中島さんも鬼籍に・・・。中島さんは酔虎にも良く来ていた。その酔虎もマスターがけがをされたりご高齢になったりで廃業した。酔虎のマスターは我が家の目と鼻の先に住んでいるので、奥様にたまに会う。酔虎の常連客の内、歌姫とサックスフォンさんはご近所なのでたまに出くわす。山ちゃんにも街で会うな。でも、その他のお客さんはどこにいってしまったのか?

陣太鼓のメイはだいぶ耄碌していたけれど、どうなったか?最近は散歩をしている姿を全く見かけなくなった。ひよしは半年くらい前に行ったきりだった。最近は二代目御大はカウンターで飲んでいない様だった。

柳屋千寿を可愛がり、酔いどれ寄席を開催し、話す場を与えていた事があった。高座をあった頃は作務衣姿のカッコいい宗さんが、カウンターの入り口近くに座って飲んでいた。ある日、宗さんが西口駅前近くの雑居ビル6階の”オアシスとも”に連れて行ってくれた事があった。あの宗さんも鬼籍に入った。お祭りで息子を見かける。お店に行くといつも和服姿で麗しい奥様は気さくで話し相手になっていただける。

吉泉も一年以上行っていない。あほうどりも半年は行っていないかもしれない。中々昔飲み歩いていた頃の様に一人でぶらっと行くわけにもいかない。外食するならみんな一緒に行きたい。かと言って三人で行けば、大抵どの店でも、合計7-8千円にはなってしまうので、そう度々は行けないという懐事情もある。


53 居酒屋ともこ


松戸飲み屋街の中通路側にある。綱ちゃんの並び。
愛想の好い女将さんが一人で運営している。お通しが500円だったと思うが、案外量が多く満足する内容。お酒は一杯500円くらいだったか。
手ごろな値段なので、心配なく飲める。女性が飲んでいることが多い。綱ちゃんの所同様1.5坪程度しかないコンパクトなお店だが、初めて来た人にも抵抗なく飲むことができる。
私がともこに行ったのはスナック和美のママが通っていた頃で、和美のママが次の店づくりで動いていた頃だっけ・・・
ともこから稔台の元ちゃんの店にはしごを一緒にしたこともあった。後に和美のママは弁天会館の二階でスタンドバーを開店した。

ともこに最初に飲みに行ってから合計で五回程度しか行っていないのではないか?十回くらいは行ったかなあ?
私のSYさんも連れて行ったことがあったっけ!
結婚したこともあって、ここ7年近くお店には伺っていないのだが、街で会うと明るい顔で声をかけてくださる。
私の事を覚えてくれているという事は嬉しい。含みも無く自然に声を掛けてくれるところが、すごいと思っている。

52 最近の松戸酒場情報-2017


2017年、今年の四月以降、健康上の理由であまり外で飲酒をしていない。
家飲みも実はしていない。ご心配をお掛けてしている店もあるらしく、不義理をして大変申し訳ないが、マイペースでやってます。
さて、そんな私で、家族が居るときだけ少しだけ付き合う程度の飲み方なのだが、備忘録的に書いておこうと思う。


"魔乃巣":バー"魔の巣"がラーメン専門店となり、現在女性会館の近くでお店を続けている。私はあまり外でラーメンを食べないので、詳しいことは分からないが、ラーメン好きの間では有名な店らしく、客がしっかりついているらしく、ある意味安心している。
途中で、けがをしたりお店を休んだり営業したりを繰り返しているようだけど、頑張ってほしいと思う。

酒森(さかもり):昔の阿比留のあったビルの二階に開店。般若湯の姉妹店。純米酒以上の日本酒に乾きもののつまみ(一部乾きものでないつまみもあり、その日によって違う)の構成。比較的家の近くなので何度か訪れた。ただ、カウンター席が少なく、埋まってしまっていると私のように単独で訪れる客の座る場所に困る事もある。

綱ちゃん:松戸飲み屋街にあった店。飲み屋あれこれ松戸は楽しいにも書いたが、2017年6月にご主人が他界された事で閉店。その後の動きは分からず。

てんつぼ:二年ほど前の2015年に中銀マンションの一階にオープンした店。今やゴースト街に近い根本にオープンしたにもかかわらず、あれほど活気がある店にするというのは大したものだと思う。いつ通りかかっても満席で入れないことの方が多い。

しぐれ:旧水戸街道沿い、住所は根本だが竹ヶ花の踏切跡付近の跨線橋付近にある居酒屋。かれこれ40年近くお店を続けているんじゃないかと思う。先日吉田類の酒場放浪記で取り上げられた。庶民的な立ち寄りやすい店。健在。
ホームページもある。http://www.geocities.jp/bananajuku/sigure/index.html

51 雅の森(松戸駅西口前)

写真は昭和60年12月1日発行の月刊まつどNOW 12月号(ロン・メディアハウス発行)より引用
姫作 雅の森
実はこの店には入った事が無かった。下階にあった夜の会議所リドには入った事がある。
松戸駅近くの古老と話をすると度々雅の森の話が出る。
高級店だったらしく、私が近寄れる店ではなかったので、入ったことが無かったのも当然かもしれない。
場所は松戸駅西口の阪田会館の5-6階にあった。
阪田会館というビルは西口の区画整理の時に出来た年代物のビルで、実はエレベーターが無い。
当時はリドは3階で歩いて上がるのは苦にはならなかったが、5階、6階にあった雅の森はさぞかし大変だったのではないか?
とは言うものの、綺麗な女性が待っているとあっては、階段を上がるのも何のその・・・と言ったところだったのかもしれない。

阪田会館は松戸市の阪田工務店の建てた持ち物件だったはずだ。
そういえば根本の大郷パインコープという7階建てのRC造マンションも阪田工務店の請負だ。
場所は陣太鼓の飲み屋の裏側で、時々マンションの売り物件が出ているが、建物の寿命といった意味ではすでに約35年ほどなので、購入は考えてしまう所がある。話が飛んだ。

さて、私は入った事が無かったが、姫作グループは当時ギターの生演奏で唄う”あるはんぶら姫作”というお店もあった。
雅の森も生演奏があったらしいので、当時はそういったラウンジ的な店が流行ったのかもしれない。

雅の森の料金が冊子に書かれていたが、飲み放題で夜9時までで8,000円、夜9時以降は12,000円、食事は別で「当店料理長がお勧めする最高のお料理」との事なので、多分料理の値段も最高だったのかもしれない。
お酒だけでも高いのに、値段の分からない料理も含めたら・・・うーん、やはり当時の私には行けなかった。
姫作は確か、懐石料理のお店がかつてあり、新橋の料亭”金田中”出身の板さんが居たと聞いたことがあったので、料理に対する拘りもひとしおだったのかもしれない。
写真で見る限りは和風の雰囲気であり、和庭園もあった様なので、かなり拘っていたお店だと思われる。
そういえば、松戸駅東口にあったスナック和美のママは雅の森出身だったと思った。
スナック和美は良く行ったんだけどね!
無理しても一度くらいは雅の森に行けば良かったなあ・・・!

写真は昭和60年12月1日発行の月刊まつどNOW 12月号(ロン・メディアハウス発行)より引用しました。