表の家

松戸の骨董品

松戸の商店のお寸志


松戸の商店のお寸志

(主に根本)

松戸の商店の主に根本を中心としたお店でいただいたものを展示します。あまり多くはありませんが・・・
また、いただいておいてお寸志というのは一般的には失礼なのですが、手ぬぐいにこの場で
”御厚志”と書くのもまた気になるので、ここでは”お寸志”と書かせて頂きます。
松北堂書店さんでいただいたカレンダー
かつての松北堂さんの看板
松北堂書店にはプロレス雑誌のゴングを購入するために何度も通った。
バックナンバーも取り寄せて貰った。私の子供の頃の書店とは即ち松北堂書店だったと思う。


昔日の松戸”松北堂書店"

太田原製麺所(太田原米店) 松戸市根本262
太田原さんは根本の米屋さんであり、以前は製麺もやっていたようだ。わが家は竹ヶ花なので、石井米店さんのところが多い。ただ、お店を営業していた当時は焼きそばの麺などはどうやら太田原さんから仕入れていたらしい。
太田原さんの現在のご主人は確か私よりも一つか二つ年上で、細身で背が高い美男子系の人。確か同じ根本保育園に通っていたと思うが、記憶はあいまい。

魚力さん
魚力さんは、根本の商店の中でもかなり頑張っていたお店です。
また、魚力さんの魚は魚としてのレベルも高く、自慢できるものでした。ただ、大型店の台頭でかなり商売が難しくなってしまった様です。2002-3年頃だったか、「御節料理を作ります」という内容のチラシがわが家の郵便箱に入っていた事がありました。ただ当時は残念ながら、御節料理はすでに注文済みでした。あのチラシを最後に閉店されてしまったという印象があります。
でも、我々住民が根本の商店街のあの魚力さんを何故支えられなかったのか、残念でなりません。
松戸ベスト100のミスターTさんと同い年の息子さんがいたとの事。しかしながら同じクラスにはなったことがなかったとミスターTはコメントされていました。
金山神社にある清水講に加入していた方々の寄進欄干(多分昭和31年前後)
金山神社に魚力さんの欄干があった事から、魚力さんも根本の商店街の一人として、金山神社の清水講に積極的に参加していた事が分かる。昭和31年前後なので、多分年代的には先代の頃に欄干が寄進されたのだと思う。
魚力さんのご主人は土田利夫さんだった。皆からは”としちゃん”、”としおさん”と呼ばれていた。先代は土田利吉さん。多分先代の利吉(りきち)さんの”りき”からとって力、魚力となったのではないか?と見ている。いずれ”としおさん”にお会いする事があったら聞いてみたい。
魚力さんのお店の外観写真は確か以前撮影してあったと思うが、現在手元にない。いずれ探してみようと思う。

野田屋商店 松戸市根本268
野田屋さんは所謂荒物屋さんで、鍋とか金物系を中心に日用品雑貨を売っていた。花沢さんの先になる。

島村俊商店 松戸市松戸2000番地
松戸市松戸2000とは坂川を挟んで、満留賀そばの前付近の元島村商店の工場があったところ。茄子のよいち漬けで有名。元々は根本に工場があったと思う。根本の区画整理の頃、現在の位置に移った。

島村俊商店ホームページ

昔日の松戸(茄子のへた取りと島村俊商店)
写真左が島村商店工場の建物。

この当時は道路がぬかるみだらけでしたね・・・車の右側は坂川です。

北部小学校50周年紀年
商店ではありませんが、掲載します。我が母校です。50周年とは1977(昭和52)年だそうです。私が在校中に火事になり色々と大変でした。

昔日の松戸"北部小の火事"


三菱銀行の手ぬぐいです。半纏手ぬぐい、童遊びシリーズ他
写真は三菱銀行史より転載させて頂いた三菱銀行当時の写真
私にはこの三菱銀行のイメージが強い。子供の頃から親がディズニー貯金口座を作ってくれていた。

銀寿司(小根本)
銀寿司さんは小根本の栄久そば屋さんの手前、クラブレイの隣付近にあり、以前は寿司の出前は必ずここでお願いしていた。銀寿司がなくなってからは、根本のよし寿司から出前を頼むようになったが、よし寿司もなくなってしまった。今は岩瀬の金太楼ですね。