表の家

竹の根商店会の現在


竹の根商店会の現在(2006年8月16日現在の記録)


ディープな松戸を標榜するミスターTさんの松戸ベスト100

ご意見箱に度々書き込んでいただいてます。


この中で北部幼稚園付近について最近書かれましたので、お盆休みでもあり、早速北部幼稚園付近、竹の根商店街を歩いてみました。

竹の根商店街とは北部小学校の北東のエリア及び北西のエリアにおける商店街。

住所で言いますと松戸市根本及び竹ヶ花西町に属します。


’竹の根商店街’という名前の由来は詳しくは知りませんが、

多分、竹ヶ花と根本の地名から名付けられたのではないでしょうか?

元々この一帯は田畑でありましたが、昭和40年代始め頃から田畑の宅地開発と共に発展した商店街です。

上の空中写真は国土地理院から拝借したもので1961(昭和36)年11月の状況を表している。まだ私がよちよち歩きの子供の頃。実は私が物心ついた頃も大して変わらない状況だった。先ずはこの昭和36年当時の竹の根商店会の場所の写真から始めます。つまりこの当時は当然ながら、商店会は無かったわけです。北部小学校の北側は一面田畑で、山崎パンの工場もありませんでした。延々と馬橋の先までこんな風景が続いておりました。また、青いラインは川を指してます。
北部小の北西部及び南西部には部分的ですが宅地造成されているところが見られます。とはいえ、殆どが田畑である事が分かります。

これら、特に北部小、北東部の田畑が埋めたてらえる前はサギが良く餌を探している姿が見られました。
北部小の校歌に
♪しらさぎの、しらさぎの〜という節がありますが、まさしくその通りに飛んでおりました。

埋め立てられる直前はすでに農家が田畑の手入れをしていなかった為か、非常にイナゴやウンカが多かったのを覚えています。特にウンカは大発生したような記憶がありますが、いつだったのかは良く覚えてません。それが、農家が田畑の手入れをやめたのが原因だったのか、或いは他に原因があったのかはよく分かりません。
又、これは根本橋から北部小方向を見た絵葉書で北部小学校が見えるほど、建物が何も無かったことを表してます。

この写真は度々表の家に資料を提供して下さる近所にお住まいのYさんから頂いた北部小の空中写真(1974(昭和49)年)

再び使わせて頂きます。


写真上部が北を表して馬橋方面、写真右側は常磐線線路という向きです。

すでにこの時期には田んぼだった北部小北側の土地には随分建物が建っているのが分かります。

鉄筋コンクリートの建物も多いですね。

例えば、北部小東側の相互銀行社宅、その北に平林産婦人科のビル、その他いくつもビルが建てられていた。

多分、この当時は竹の根商店会もかなり賑わっていたと思います。


そういえばミスターTが北部小学校の校庭の真ん中にプレファブの校舎を建てていたという記述がありましたが、この当時かな?

確かにかなり建てられてましたね

2006年時点に戻ります。

まずはこの看板でありましょう。

この竹の根商店会にはこれだけの商店がありました。

今も頑張っているお店も勿論ありますが、少なくとも紙の貼ったお店は無くなってます。

念のため、見つけたマップの画像アップもします。かなり名称が間違っているものもあるみたいですが・・・

タイム、千菓進、魚屋、中村八百屋
私にとっての竹の根商店街で印象的だったのはやはり母が良く通っていた中村八百屋(屋号は確か八百政)

写真は一番手前からタイム、千菓進、魚屋、中村八百屋となっている。

このうちタイム及び千菓進は営業しているようだが、魚屋と中村八百屋は住宅になってしまったようだ。

千菓進は簡単な食事を取ることが出来る。昼間からお酒を飲んでいる人も居て驚く。

ただし、それにつられて私も酎ハイを頼んでしまったので人の事は言えない。

東京理容
近所に理容’ヒデ’が出来るまではこの東京理容に良く通っていた。当時は旦那さんもお元気だった。

現在はおかみさんが頑張っている。ここには理容練習生の人も居た事があった。インターンみたいな感じで実習していた様だった。

教育が厳しかったのか、練習生が根性無かったのか数ヶ月と保たなくて、おかみさんがこぼしていたのを覚えている。

宝屋
このミニスーパー宝屋は今でも健在頑張ってます。

グリルフレンド(2006(平成18)年)閉店
ハンバーグがメインのレストラン。赤い庇の看板が印象的だった。

数ヶ月前だったか閉店してしまった。シャッターが閉まったままになってしまった。どうやらご主人が他界されたらしい。

私は一度だけ入ったことがあった。大量の玉葱を刻んでいたのが印象的だった。

一度、松戸駅東口のマザーグースにご主人が飲みに来た事があった。

藤屋
このお食事処&中華の藤屋は一度も入ったことはありませんね。

セブンイレブン古ヶ崎店(2009年7月撮影)
どうやら竹の根商店会にこのセブンイレブンも含まれるらしいので、加えた。

ちょうど、隣のキューバンズバーを解体している処の写真

このキューバンズバーが解体された後、このセブンイレブンはもう少し、キューバンズバー跡の付近まで移動し、

駐車場を確保する入りやすい店になった。


キューバンズバー(2009年7月解体)
竹の根商店会には加盟していなかった様だけれど、加盟しているセブンイレブン古ヶ崎店の隣なので掲載した。

現在は無いお店だが、東口のダイエー近くに近いような名前のお店があったが、そこに引っ越したのかどうかは不明。

とにかく倉庫みたいなだだっ広い遊び場で、カラオケもしにいった事があった。

薬局及びゆたか堂跡
薬局は健在なのでしょうか?竹の根商店会の案内にはすでに紙が貼られているようでした。

隣のゆたか堂は住宅になってしまいました。

ゆたか堂は文房具屋さんで、私の世代ではありませんが、営業している時の雰囲気は覚えてます。

バーバーサカイ跡
何故かここは行ったことが無かったね。

知人は良く通ったらしい。ダイエー近くの塩谷金物屋さんの隣付近に越した後も

知人は通ったとの事だった。

駄菓子屋探し
ミスターTの駄菓子屋を探してみた。

この写真の中で大津はもう一軒先の美容院の処だったかもしれない。

ツユザキクリーニングは現在もう無いが、その右隣の家が駄菓子屋だったかもしれない。それは分からない。


駄菓子屋のミスターTによるコメントは

クリーニングつゆざきの隣にあったお菓子や(名前は不明) 北部幼稚園の隣にある店 

ここでは駄菓子をよく購入した 店の前には ガチャガチャも有り ゆたか堂 吉岡文具 ここ とよく自転車で通った 

この店の左側に昔の10円ゲーム(10円ダマをつかい当たりの穴に入れるもの 今では原始的なもの)があってよく利用した」


この駄菓子屋さんはマップに従えば野崎商店かもしれない。


大津酒店に関してミスターTによるコメントは

「北部幼稚園通り とくに寄ったことはないけれど 酒屋といえば小さめの日めくりカレンダー

(女優がとっくりを持ってお酌しニッコリ笑っているもの)毎日めくる事なんか出来なかった 

まとめて30枚めくることがほとんど」


又、大津酒店は知人によれば

「かなり昔の事になるが、根本の大津酒店は栄町まで御用聞きに来ていた。そして、息子さんはとても優しい人で、

車に乗せてくれたりした。開成高校を出たらしくとても優秀な人だったらしい」

との事で当時はものすごく頑張っていた店であった事が分かります。

駄菓子屋探し
手がかりが無いな

北部幼稚園の隣
多分、ここが駄菓子屋跡だと思う。

ゲームセンター跡
ツユザキの正面、コインランドリーがある。

その右隣にリーリカ音楽サロンという楽器練習所のようなものがあり、そこがゲームセンターだったかも?

その先は居酒屋で度々店が変わっている。

松戸ベスト100のミスターTのコメントによればゲームセンターは

「1980年ごろ この店(駄菓子屋)の斜め向かいに 根本初のゲームセンターが出来た

(今のコインランドリーの隣だったような) 私は 当時では最新のメダルゲームに飛びついた 

ほとんど毎日のように行っていた このゲームセンターは半年ぐらいで移転してしまった 

後に松戸運動公園のプールの帰りにアイスを買おうと何気なく目に付いた店に寄ったら 

その根本のゲームセンターのご主人の店だった 「こんなところまで来たの」と驚かれた (南花島児童公園のとおり)」

北部幼稚園
言わずと知れた北部幼稚園ですね。

私の妹もここに通いました。開園は昭和42年くらいかな?この幼稚園というと平島智恵子先生を思い出す。

この北部幼稚園に関して松戸ベスト100のミスターTは


「北部幼稚園敷地内一週(生徒全員参加)が結構好きでした 校舎の裏には漫画の面子とかがあったりして」

富永商店
これが富永商店。今でも健在です。松戸ベスト100のミスターTのコメントを借りますと

「北部幼稚園前にある雑貨屋 たばこ 雑誌 パン 菓子 日用品など コンビニの無い時代の基本的な店」

野村商店
野村商店らしきを探しましたが、残念ながらありませんでした。

どうもこの家が野村商店跡のようですが・・・

松戸ベスト100のミスターTによると

松戸グリーンコーポマンションの側 この店はかなりレアだろう ここも富永商店と同じような店 

小学生だったから入れた店だ ここは雑貨とお菓子があった 目的はお菓子だったが 

当時流行っていた プレイボーイのキャラクター(うさぎ)のグッツが印象的

松戸書房(閉店)
現在はそのまま住宅になっているようです。

青いシャッターボックスに微かに松戸書房らしき文字が見えました。

本棚がそのまま残っているようでした。


松戸書房は松戸ベスト100のミスターTによれば


「田中材木店の隣 この材木店は坂川沿い その右側に橋があるがそこを渡って 陸橋の下はかつて私の遊び場だった

 またその橋を渡って登校橋方面へまっすぐ歩けばと自分の家に帰ることが出来た

だが 土手がいつのまにか削られてしまいそれも出来なくなった」

デイリーヤマザキ閉店(2006(平成18)年2月15日)閉店
ここはデイリーヤマザキですが、実は根本の大和屋さんの長男の方がここでお店を開いていた。

次男の方がその昔根本の大和屋で洋食レストランを営業してましたね。

ミスターTさんも松戸ベスト100の中で少し触れてましたが、ちょっと寂しい。


ミスターTによればこの場所は

「.松戸のお弁当屋さん その松戸書房から歩いて200メートル ガソリンスタンドの横にあった 

その近辺は配送会社が多くあり 主なお客はトラックの運転手だったような 

その後 お弁当屋さん〜サンエブリ〜ヤマザキストア と店は変っていった」

高津工務店並びの飲屋街跡(番外)
ここはすでに竹の根商店会の地区ではなく番外です。

高津工務店並びの飲屋街、ラーメン屋跡です。

すぐ近くの居酒屋みますの親爺さんは”小便横丁”と称してました。今は跡形もありませんね。

多分、新坂川の護岸工事の際に無くなったのではないかと思います。

私はお店に入ったことはありませんでしたが、同級生のAKさんはあったようです。残念です。


ここにはラーメンの東幸園というのがあったらしく、松戸ベスト100のミスターTによれば

「東幸園 吉岡文具の通り 高津工務店のとなりのとなり 北部小学校の先生方も寄っていた」

竹の根商店会の現在は、松戸行脚2006で発表したものを若干の手を加え、2015年1月末に再掲載しました。現在も商店が営業されているかどうかは何とも言えません。