表の家

武蔵野カンツリー倶楽部


武蔵野カンツリー倶楽部
六実ゴルフ場及び藤ヶ谷ゴルフ場

千葉県東葛飾郡風早村高柳

六実ゴルフ場の絵葉書

六実ゴルフ場の絵葉書

クラブハウス建築

下は別の絵葉書

この絵葉書は1936(昭和11)年12月11日に鐵道省より発行された常磐線上野・松戸間電車開通記念(絵葉書)である。
これにも六実ゴルフ場と藤ヶ谷ゴルフ場(富士ヶ谷と書かれているが)が両方記載されている。点線でバスとアクセスが書かれているが、これが県道281という事になるのだろう。

社団法人 武蔵野カンツリー倶楽部

千葉県東葛飾郡風早村高柳(六実ゴルフ場)


JGA 日本ゴルフ協会の記述によれば、この武蔵野カンツリー倶楽部は当初東京・多摩の平山に全長2000ヤード6ホールという小さな規模で庶民的なゴルフ場として作られ、1926(大正15)年に千葉県の六実に移転、同年10月に9ホール、翌1927(昭和2)年9月に18ホールが完成。
移転当初会員が100人であったものが2年後に700人弱に増加し、六実だけでは狭いと、隣接する藤ヶ谷にもう18ホールを拡張した。
ところが戦争の為1944(昭和19)年陸軍用地として強制徴用を受けて、閉鎖・・・となっているが、別の資料では1942(昭和17)年陸軍により接収と書かれている。

又、六実駅は1923年(大正12年)12月27日に開業しているが、
松戸市史下巻 大正昭和編(P243)によれば,”藤ヶ谷ゴルフ場は六実駅開設当時すでに開所されていた”とあり、実は六実ゴルフ場よりも藤ヶ谷ゴルフ場の方が3年ほどオープンが早かった事になる。

松戸駅からバスで県道281を利用してそれぞれのゴルフ場にアクセスしていたが、
市内でもいち早くこの県道281は舗装されていたとの事(松戸市史より)

昭和14年にこの歳末御心付3円の請求書の宛先の人は賀屋興宣(カヤオキノリ)さんで、日本の大蔵官僚、政治家。
1889(明治22)年1月30日 - 1977(昭和52)年4月28日)
戦争反対の立場だったが、東条内閣下で大蔵大臣を務めたが華北における資源開発や大東亜共栄圏を中心としたブロック経済を想定した予算を組んだためA級戦犯になってしまった。

請求書に同封された振込用紙

   
請求書が送られたエンベロップ。これを見ると電話番号が、藤ヶ谷ゴルフ場が六実三番、六実ゴルフ場が六実十六番となっており、昭和14年の時点で両方のゴルフ場が存在していた事が分かる。