表の家

母方の祖父のお話




母方の祖父は茨城の大農家の長男。文学が好きで小説家をめざし、継ぐ筈の財産を全て次男に譲り、許嫁と共に東京に駆け落ちしてしまった人である。東京で懸命にそして懸命に修行した。
ある日、自分の作品を徳田秋聲氏に送った。
徳田先生はご丁寧にも返事を書いて下さった。手紙は候文で書かれそのまま書くと長くなるが、結論から書けば「諦めなさい」であった。
小説家への道はきっぱり諦めたが、ありがたい徳田先生のお手紙全て暗誦し、晩酌で酔いが回ると子供達に聞かせた。
小説家の夢は破れても本への執着は消えることはなく、そのままに本屋さんになってしまった。
当初向島に住んでいたが火事で新小岩に越した。
お店の名前は鹿島屋書店という。
祖父が茨城県の鹿島出身が故の名前。

そもそも商売人じゃないから愛想は決して良くない。
立ち読み客にはたきをバタバタ、追い出してしまう。
同時に大学の先生から珍本の依頼があれば、お客さんそっちのけで、早々に店じまい。
自慢の実用自転車で神田の街に消えてしまう。

神田に無い本を水戸や京都へ探しに行くこともあった。
当時国鉄小荷物(チッキ)という制度があって、最寄り駅から京都駅に自転車を送る。
到着した頃合いを見計らって京都駅に向かい駅で自転車を受け取り活動を始める(チッキは手荷物預かり証の英語名Checkがチッキになった)。

この新小岩の祖父の末娘(つまり私の母)は松戸に嫁いだ。娘を思う親心で松戸に度々訪れた。しかも実用自転車に乗ってきた。
当時、松戸の家には大姑(つまり私の曾祖母)が居た。そのため気遣いして分からぬようにそっと来た。
私の母が嫁いでほぼ9年後に松戸の曾祖母は他界。

それ以来新小岩の祖父は私にも分かるようにやってきた。いつも本を持ってきてくれた。古本だが少年用の読み物だ。
ところが当時の私(小学生)は殆ど読書習慣がなく毎日魚採りばかりに夢中でちっとも読まなかった。
実に勿体ない。
今になってみれば本探しのノウハウを持った新小岩の祖父に依頼したい本はたくさんあるが、そう思ったときはすでに遅い。
私が高校生になった頃に新小岩の祖父は他界した。