表の家

千葉県のお宝
皇太子さまと房総


古書「皇太子さまと房総」
昭和二十三年

昭和二十三年一月四日から七日間、当時の皇太子殿下(現天皇陛下)が房総の御見学旅行をされ、それについての小冊子が発行された。ご旅行のコースは下記を参照願うが、市川から始まり内房を南に下り、白浜から外房を北上され銚子から電車で帰宅された記録である。

表紙
皇太子さまと房総
昭和二十三年一月十五日発行
発行者:田谷一、発行所:千葉市要町一七 皇太子さまと房総刊行會
頒価:二百円

御見学巡路

第一日目
御旅程第一日の一月四日、皇太子さまは午前九時過ぎ市川市御着、国府台里見公園、日本考古学研究所等をご見学、更に千葉市では県庁、県立図書館、千葉医科大学に御立寄りの後、木更津市に向かわれ蓮根採取御覧になつて同市内の宿舎に御旅行第一夜の御夢を結ばれた。

第二日目
五日(第二日)朝九時過ぎ宿舎御出発の皇太子さまは、まず狸ばやしの伝説と童謡で名高い證城寺(しょうじょう寺)で市内小学児童の舞踊を御覧になり、波岡漁業會では海苔の生産状況を御見学、同十一時保田町鋸山に御登山、頂上から関八州を御展望の後下山、館山市に向われ、那古観音に参拝して鏡ヶ浦の風光を御賞覧、更に沼のさんご礁跡を御見学して午後三時過ぎ同市内の宿舎に入られた。

第三日目
六日(第三日)皇太子さまは宿舎から市内水産講習所桟橋に御出でになり、安房中学生徒らの寒中水泳を御覧になつて外房に向われた。まず安房神社に御参拝ついで宮崎測候所御見学の後、房総半島最南端の白浜町野島崎灯台で太平洋の雄景を御展望御少憩になり、更に和光堂工場から仁右衛門島を御観察されて鴨川町に御宿泊された。

第四日目
七日(第四日)御旅程はじめてのゆとりある朝を皇太子さまは鴨川海岸の御散歩や獅子舞御覧に過され、小湊町水泳講習所実験場、誕生寺等を御見学の後、おせんころがしの絶景を御見物して興津町に入られた。

第五日目
八日(第五日)皇太子さまはまず大多喜町宮田自転車工場を御見学の後、一宮町玉前神社に御参拝、同町一宮学園をも御観察されて茂原町電子科学研究所を御見学、御手ずから実験を試みなどされた後、東金町の宿舎に第五日の夜を過された。

第六、七日目
九日(第六日)朝、片貝海岸で九十九里濱の漁況御覧の皇太子さまは、午後銚子市に御到着、山サ醤油工場、銚子漁港等御見学の後犬吠埼灯台から太平洋漁場を御展望になり宿舎瑞鶴荘に御宿泊。翌十日(第七日)は魚市場御見学の後市営運動場で市内学童らに御挨拶され、午前十一時銚子駅発御帰京七日間の御旅程を終えられた。


房総半島の各地を廻られそれぞれの土地の風光明媚な写真が掲載されているが、東葛地域をメインで他の地域写真は抜粋掲載させていただきたい

第一日目(昭和二十三年一月四日)

市川市国府台里見公園から市街御展望の皇太子さま

東京都と千葉県の境界を流れる江戸川(市川市西郊)

市川市国府台にあった日本考古学研究所での見学の風景
(ペンペン草による註釈:皇太子さまにお話をされている左端の人物は同研究所所長であり又オランダ人宣教師のG.グロート(Gerard J. Groot)神父である。このグロート神父は縄文文化の研究を目的に日本考古学研究所を国府台(現在の和洋女子大学の南端付近)に設立、教会も併設されていた。平成二十一年一月現在市川考古学博物館(市川市堀之内)でG.グロート神父についての展示を行っているのでご興味のある方は行かれたし)


日本考古学研究所の陳列品

市川市中山法華経寺の日蓮上人宝物殿

中山競馬場のババとスタンドの一部

千葉県庁と千葉市の繁華街

第二日目(昭和二十三年一月五日)

木更津市内證城寺で御説明を御聴きになる皇太子さま

木更津市波岡漁業會で海苔の生産を御覧になる皇太子さま 及び養殖場

第三日目(昭和二十三年一月六日)

仁右衛門島渡船上、島内を御元気に御歩きになる皇太子さま

第四日目(昭和二十三年一月七日)

おせんころがしとおせんころがしを御覧になる皇太子さま

第五日目(昭和二十三年一月八日)

一宮学園で学童の歓送を受けられて御出発の皇太子さま

第六・七日目(昭和二十三年一月九・十日)

片貝海岸と皇太子さま

銚子魚市場御見学の皇太子さま


この「皇太子さまと房総」では銚子で御見学は終了し電車でお帰りになったという記述になっているが、冊子を充実させるためかその他の地域の写真も併せて掲載されている。

三里塚牧場
三里塚と言えば私は三里塚闘争をイメージしてしまうが、こののどかな頃の三里塚の写真を見るとほっとする。御料牧場の頃の写真だ。

野田醤油工場

野田町清水公園

千葉農業専門学校(松戸市)
現千葉大学園芸学部の事。