表の家

松戸の古絵葉書常磐線上野・松戸間電車開通記念の古絵葉書


常磐線上野・松戸間電車開通記念(絵葉書
鐵道省 1936年(昭和十一)十二月十一日発行
新たに入手されたタトウ、概要、松戸駅構内などを含め発表したい。
平成27年3月5日、平成22年5月3日一部補充追加・変更

タトウ(追加

常磐線上野松戸間電化工事概要追加
鉄道省東京電気事務所
常磐線上野松戸間電化工事概要
常磐線上野松戸間ノ電化ハ昭和十年十二月麹ニ着手シ本年十二月十一日ヲ以テ開通ノ運トナリ之デ帝都ヲ中心トスル放射線ノ全部ガ電車運転ヲ見ルコトトナツタ
而シテ同区間運転時隔ハ平常時十六分朝夕ノ混雑時八分トナリ又到達時分ハ従来三十分以上デアツタモノガ二十三分ニ短縮サルルコトトナツタ
電化工事の概要左ノ通リデアル

一.電車線路
直流 一、五〇〇ヴォルト、シンプルカテナリー式 亘長 十九粁
二. 信号保安設備
自動及半自動信号機 一四六基
単相交流三、三○○ヴォルト配電線路  亘長 十七粁
三. 金町変電所
回転変流機 二、○○○キロワット 三組
変圧器(一次六六、○○○ 二次ヴォルト六六、○○○)
七、○○○キロヴォルト、アムペア  二組
四.
松戸電車庫
収容輛数 三三輛
五. 工事費
電車線路   五四五、○○○圓
通信信号及電灯電力設備 四五五、○○○圓
変電所    六五○、○○○圓
電車庫    二二○、○○○圓

路線図追加
この地図によれば、赤い線になっているところが電化された路線だが、松戸-我孫子間は赤い点線であり、電車運転予定区間となっている。緑の四角が変電所を表しているが、東京都内には実にたくさんの変電所があるが、松戸以北は変電所が無かったという事だろうか?発電所は赤羽。

松戸駅構内追加
右側に高台(樹林)が見えるので、柏方面を眺めている写真だと思う

松戸驛信号所内

千葉高等園芸学校温室之一部 及び 富士ヶ谷ゴルフ場、六實ゴルフ場

江戸川を渡る風景                上野駅

金町変電区全景追加

金町変電区機械室追加

蕨・金町間送電線路

荒川橋渠上ノ電車追加

改良工事施工後             改良工事施工前
三河島大踏切通
追加
三河島は電化される前、地面を電車が通っていたことが分かる。駅前の叶屋商店やその前に走っているバスの形、実に多くの自転車…踏切があった頃の昔の風情がここにはある。多分、ここは`開かずの踏切`であった事が想像される。それを解消したく高架になったのであろう。
この写真を見ると我等が松戸駅の北側にあった`開かずの踏切(元松戸大宝近く)’を彷彿とさせる。
ただ、改良二十六年後、皮肉にも線路を高架にしたからこそ起きたあの悲惨な
三河島事故(1962年(昭和37年)5月3日)までも思い出してしまう。このページを追加変更している本日が平成22年5月3日で、ちょうど48年前に当たる。この事故で犠牲になった方々へ改めてご冥福を祈る。

三河島附近高架線

通信面

常磐線電化祝賀 2015/03/05更新、追加


常磐線電化祝賀式祝宴式後の食事御招待状

主催者松戸町長 小林善作
略啓

本日は公私共御多端(たたん)の折柄(おりがら)にも拘はらず御来臨の榮(えい)を辱(かたじけの)うし関係者一同感佩(かんぱい)仕候 就いては祝賀式並祝宴終了後富吉楼に於て御高説拝聴旁々(かたがた)粗餐差上度候間御迷惑とは存候へ共御繰合はせ御来駕(らいが)相賜度御案内申上候  敬白

昭和十一年十二月十一日

常磐線電化促進期成同盟會長

祝賀會協賛會長

松戸町長 小林善作

神谷弥平殿

読んだとおりの内容ですが、常磐線電化の祝賀式にご招待したお客様にお渡しした祝賀会後の食事のご招待状です。御多端という言葉が出てきますが、これは年末に使われる言葉で、「年末でお忙しい時節にも拘わらず・・・」という始まりになってます。これは所謂電化された日つまり昭和十一年十二月十一日に祝賀会が行われ、その後の食事は富吉で用意されてあったという事になります。
小林善作町長の就任とその後の歴史

(松戸市史年表より)
1924(大正13)年9月2日ー1925(大正14)7月 小林善作氏松戸町名誉町長就任
1932(昭和7)年10月23日-1933(昭和8)3月31日 小林善作氏松戸町名誉町長就任
1933(昭和8)年6月20日-1937(昭和12)6月19日 小林善作氏松戸町町長就任
1936(昭和11)年12月11日 常磐線上野-松戸間電車開通(電化)
1937(昭和12)10月 電化記念として
松井天山図を作成
1937(昭和12)6月-1943(昭和18)3月31日 門六郎氏が松戸町町長に就任
1943(昭和18)4月1日松戸市となり、 門六郎氏が松戸市初代市長に就任

とあり、昭和十二年の松井天山松戸鳥瞰図は電化を記念して作成されたものと書かれてます。
この松井天山図で描かれている常磐線は汽車ではなく、電車に見えます。

そして松戸駅と書かれた左側をご覧下さい。

電車乗場と書かれています。

電化記念で作られたのだから当然と言えば当然なのでしょうが、非常に興味深いです。

神谷弥平さんの事
名前だけでは特定出来ないのだが、この時代にあって、常磐線電化の祝宴に招待される大物という視点で探してみると隣の埼玉の谷口村(谷口村→彦成村→三郷村→三郷市)で村長、県議会議員などをして、1920(大正9)年と1924(大正13)年の衆議院議員に当選した憲政会の神谷弥平ではないだろうか?と推測する。明治八年生まれ。1928(昭和3)年の衆議院議員選挙では神谷弥平が落選し、千葉県の川島正次郎(立憲政友会)が初当選してます。それから7年後の常磐線電化記念祝賀式ですので、これは想像ですが川島正次郎の繋がりで神谷弥平をお誘いしたのではないか?と見ている。新たな事が分かり次第、更新訂正の予定。

この資料の入手先から伺った内容によれば、どうやらこの資料は上記の神谷弥平ご自身で間違いないらしい。また、このようなニュースがある(2015年平成27年更新)。

大阪朝日新聞 1924.7.4(大正13)によれば
衆院特別委員
一 震災地地租免除案 石川安次郎小島征作、平沼亮三、神谷弥平(以上憲政会)本多真次郎、上原好雄(以上政友本党)磯辺尚、石井謹吾(以上政友会)湯浅凡平(革新倶楽部)


関東大震災は1923年(大正12年)9月1日なので、およそ一年後に地租免税案について提案した衆議院特別委員の中に神谷弥平さんが加わっている。

また、当時三郷市から衆議院議員に選出された人はこの神谷弥平さんと
高木利平さん。それから暫くはこの谷口村、後の三郷市から暫くの間は衆議院議員は選出されていなかったが、2012年の第46回衆議院議員選挙において、三郷市出身の鈴木義弘氏が維新の会、比例で当選。三郷市は戦後初の衆議院議員選出、そして神谷弥平さんから数えれば86年ぶりの選出という事になる。又、2014年の第47回衆議院議員選挙においても再選されている。元々鈴木義弘氏は自民党だったが、選挙対策上の問題からか2012年の選挙では何故か日本維新の会に所属しての当選。

話は戻るが、この食事のご招待資料を手にして、この神谷弥平という方は非常に几帳面で物を大切にする人だったのではないか?と感じた。私のような無精な人間は何らかの祝賀会に出席しても、とてもお食事の招待状まで封書に入れてとっておくものではない。せめて、自分の結婚式の時の式次第程度が関の山ではないか・・・多分、地元でも尊敬に値する人だったのではないか?と思っている。今回は非常に素晴らしい資料を手にしたと思う。