表の家

つれづれなるままに31-35


35 喫茶 Photo 冨士−松戸本町

最近お酒を控えている。以前は観察会が終了開放されるとそのまま松戸駅西口のそば屋さんに直行。
午後三時過ぎから日本酒を飲み始める。五時過ぎに開店する居酒屋へ消えていく。
その為、体重が増え痛風の原因である尿酸値が増加、医者から酒を控えるよう注意された。

当初、なるべく野菜を多く食べられる店にシフトを替えた。DやYである。飲み友達に会わないようにした意図もある。会えばどうしても今までの生活に戻ってしまうからだ。
ところが狭い松戸、そんな事をしてもどうしても会ってしまう。
DでもYでもKでの飲み仲間と遭遇した。
やむを得ず松戸で飲むことを止めた。
松戸で飲まなくなってからかれこれ一年近い。そのうち半年以上は断酒をしていた。

さて、ここ半年ほど松戸付近で自然散策をしたり図書館で調べ事をした後、珈琲を楽しむ。本町の`冨士`である。「喫茶 Photo 冨士」と書いてある。
店内には先代の撮影したというかなり立派な冨士山の写真が飾ってある。
満員でもせいぜい十六人程度しか入れないほどこじんまりとしている。
でもこの広さが良い。
スタイルは全く昔風のお店だが、大好きなお店の一つだ。
私はこの店のアメリカンがお気に入り。酸味がほどよくて口の中に何とも言えない芳香が広がる。一杯かせいぜい二杯で帰る。軽食もあるようだがここでは食べたことが無い。
三十分ほど珈琲を飲んでいると色々なお客さんが来る。カフェオレを飲む西洋人の女性、盛んに携帯ばかりを見ている若い女性、男性は大人しい人ばかり、一度威勢の良いおじさんも来たことがあったなあ……
スタバ、ターリーズ、ドトールは落ち着かないので好きじゃない。
冨士のような落ち着ける店が今後とも続けていける事を切に願っている。

34 取りあえずビール

久米宏が進行し、新日本人をテーマにした番組が明日放送されるらしい。その中で最近の若者が居酒屋で「取りあえずビール」を飲まずサワーでスタートする様子を驚きの表現で紹介していた。二杯目はパフェのような甘い物を食べながら話すのだそうだ。
岡野工業の岡野雅行社長もびっくり。
久米宏は「最初からビールにせず、色々なものを頼んだらすぐ乾杯出来ないじゃない」と言っていた。
確かにそうなんだけれど、私も最初から自分の好きな酒を飲みたい。
一人で飲むときは先ず「取りあえずビール」は飲まない。
居酒屋で出すビールは大抵の場合日本の大手ビール会社販売のビールで好みの味ではないからだ。
味が痩せて苦いだけ、三十分もしないうちに気が抜けて味が落ち不味くなるビールは果たしてビールと呼べるのかどうか疑問さえ感じる。
だから私は「取りあえずビール」を一人の時は飲まない。
施主、上司、同僚と飲みに行くときは「飲まない」なんて言ってしまうと、どうしてもトゲが出てしまうので、顔は笑顔で心で泣いて「取りあえずビール」に付き合う。本心を出さないように努力しているのだ。

これがシメイ・ホワイトや少し安くてバス・ペールエールであれば話は別だ。
ゆっくり飲んでいても味が落ちることは無い。温くなっても美味しく飲める。
最初から最後までバス・ペールエールでもよろしい。
私も新日本人になっちゃったかな?

33 都会のど真ん中で

通勤先の港区虎ノ門付近のゴミ捨て場に雑然と捨てられていた野鳥。数人の人集りが出来ていた。
「鳥インフルエンザかも?」と私が云うと見物人の一人「ダブ」の女将さんが「変なこと言わないでよ」と怯えて後ずさり……
デジカメで撮影、野鳥の詳しい方に聞いたら、ある人は「トビ」だと言い、又ある人は「ノスリ」だと言ったので、果たして私もどちらなのか良く分からない。全長は40センチ程度だった。
どちらにしても都会に棲息するような野鳥なのだろうか?
もっとも付近には愛宕山、日比谷公園もあり、そして皇居もあるのでその付近に居たのかもしれないけれど、そもそもゴミ捨て場にある事が引っかかる。近所の誰かが不法飼育していたのかもしれないが謎だ。

32 イヤです”不景気”

最近、某設計同類他社(はっきり書けないので曖昧な表現で失礼)が挨拶の為の自社紹介プレぜにきた。今まで仕事を一緒にした経験のない事務所だったが、この種の設計事務所として小さい事務所ではない。業績が豊富という訳ではないが、きっちり仕事をしてきたと言った印象で、大阪に支店もあるらしい。一緒に聞いていたS氏は「良い事務所みたいだけれど、使ったら高いフィーなんじゃないかなあ〜?」と言っていた。

私もこの事務所の印象は確かに悪くはなかった。
ただ、この日のこの出来事に対してある種の不安が蘇った。

バブル崩壊以降暫くの間、我々の業界の景気は衰えてなかった。その延長として私も外地に赴任した。
ところが困った事に1997年頃からタイに始まるアジア通貨危機の影響で不況の波が押し寄せた。その結果、1998年〜1999年にかけて仕事がめっきり少なくなっていった。
折角外地にいるのに仕事が減り、オフィスに収入がなければ本社からの持ち出しになる。
ところが日本の状況も決して良くなかった。結果、経費を詰めに詰めるしかなかった。
経費節減だって限度がある。
あの当時は色々な事をした。
先ず、仕事の話があれば直ぐ飛んでいけるように、いつでも客先に顔を出す。内装関係の現地工事業者や設計事務所と横の交流をして、何とか食いつなぐための情報収集をした。中国で美味しいプロジェクトの話があれば、どんな処でもすぐに飛んで行った。

と、そんな当時の記憶が蘇ったのだ。

新聞を読めば、住宅市況が悪くなり、売れないマンション在庫が増えている。中古と新築在庫(バイクで言えば新古車)の比率が半々らしい……というような事や、
今まで何度も使った事のある神戸の建築塗装材メーカーが今年の六月破産したらしい……事など、建築業界自体の市況はよろしくない。でもそれだけだったら、直接の因果関係がある訳ではない。

プレゼを聞いていた他のメンバーはどう思ったのかは知らないが、私にとっては、受注の少なくなった同類他社が揉み手でやってくるというのはショックなのだ。


31 ボーナス:私どもの努力が足りませんでした

皆さんはもうボーナス出ましたか?私の所は無事いただく事が出来ました。今年リーマンショック以降、不景気風が吹き始め、各社で支給額もバラバラかもしれません。ところで、やはりボーナスは現金で欲しいですね。
バブルの頃までだったでしょうか?支給は現金でした。
当時は景気が良かったので、袋に「これでもか!」というくらい入っていて、札束が唸っているような感触……と言っては大袈裟かもしれませんが、少なくとも帰り路は懐が温かくなったもんです。
あれもこれも遠い昔の思い出。

支払い方法が現金から銀行振り込みに変わる頃、今遠い場所に居るごく近い上司が「何故黙って振り込んだ〜現金で俺に渡せ!」と経理担当者に真剣に怒り、噛みついておりました。冷静に考えますとこの発言は怪しい訳でして、本人が考えていた何らかの「つもり」があったのでありましょう。
ただただ我々はクスクスと笑い沈黙を守っておりました。
ボーナス支給が現金から振り込みに切り替わった年というのは、多分大蔵省としての既得権益がご主人から奥様に移譲された事を象徴的にあらわした年なんだと思います。
一年のうちで唯一ご主人が奥様に威張れる日、それがボーナス支給日であり、その大切な儀式の日が奪われた訳でして……

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さて、これからお話する事はボーナスが現金手渡しの頃(つまりご主人から奥様に実質的な権力移譲が行われる以前)のお話です。

庭のデザインをする某協力事務所の社員で
`ヒトリシメオ`さんという人が居りました。
この
`ヒトリシメオ`さんは、毎年ボーナスが支給されていたのにも関わらず、結婚して十数年間、ボーナスを一度も奥さまに渡した事が無く独り占めにしていたそうです。
ところが
`ヒトリシメオ`さん奥様`ヒトリナキヨ`さんは辛抱強い人だった。
十数年間ボーナスが無くても何とか今まで家計をやりくりしてきたのは、偏に
奥様`ヒトリナキヨ`さんが頑張ってきたからに違いない。まさに献身的な奥様だった訳だ。
そんな献身的な
奥様`ヒトリナキヨ`さんだっていつかは腹にすえかねる。
そして或る日考えたんだな。
「十数年もボーナスが出ない原因は自分の主人ではなく、会社の社長が悪いのだ」
「それだったら、社長に直訴しよう!」
と……

それは冬のボーナス支給日の数週間前、
奥様`ヒトリナキヨ`さん社長Waさんに電話直訴を決行した。
「社長さんですか?私`ヒトリシメオ`の妻です。十数年もボーナスが出せないとはどういう事ですか、社長としてしっかりしてください」

社長Waさんは相当面食らったそうだ。会社としてボーナスは毎年しっかりと払っていた。
多分、あの社員
`ヒトリシメオ`さんが自分の遊びの為に使ってしまったのだろう。
よりによって謂われのない苦情をぶつけられ、
社長Waさんはかなり困ったらしい。
社長Waさんは社員`ヒトリシメオ`さんのとんでもない悪行に呆れつつも、事実をストレートに告げるには気が引けたんだそうだ。
そんな事を言ったらあの夫婦は破局だわな。そこで:


社長Waさん「それは私どもの努力が足りませんでした。申し訳ありません。実はもうすぐボーナス支給日です。どうか御安心下さい」
勿論、
奥様`ヒトリナキヨ`さんは納得・安心して電話を切った。

社長Waさんはすぐさま社員の`ヒトリシメオ`さんに注意したのは言うまでもない。
社長Waさんは最近度々テレビに出演している。
ボーナスが現金支給だった頃の牧歌的な話である。