表の家

つれづれなるままに91-95


95iPhone礼賛、PHS万歳


昨年11月に自慢のiPhone3Gが壊れた。

あのiPhoneを買ったのは二年前の2008年だった。当時は嬉しくてたまらなかった。毎月の支払い額が若干気になるものの、魅力的なデザインと先進技術で作られたiPhoneを手にする喜びで満たされ、少々お金がかかる事は許されるべき欠点だった。
iPhoneを使いこなす為に、iPhone用アプリを合計数万円分は買った。
やはり便利は金で買うもんだ…そんな風に思っていた。

ある日iPhone3Gのお小遣い帳アプリを購入した。
始めてみるとこれが案外面白い。
あんまり面白いので
イカリタメオさん「今、お小遣い帳つけているんだよ」と云うと
イカリタメオさん曰く「僕は中学生の時からずっとつけているよ」
恐れ入ります。

それはともかくお小遣い帳を付けていると、出費のバランスを俯瞰的に見る事が出来る。あれも直そう、これも直そうと思うようになった。例えば、外食は楽しいが、毎日のように外食をすると家計費を逼迫する。

通信代金もしかり。
iPhoneの使用料が約1万円/月、自宅でのBフレッツ代金+IP電話で約5千円/月、フレッツテレビ682.5円/月、スカパーで3980円/月でざっと通信費だけでも2万円弱/月も使っていた。通信代金のうちiPhoneの出費が半分というのが気になる。先ずはこれを何とかしよう。
と前向きに節約を考える様になった。
ちょうど2010年11月でiPhoneの割賦が終わった。割賦が終われば月の支払いは少々安くなるだろうが、別のキャリアも含め他の機種の物色を始めた。
そんな時、ふとアップルを巡るジンクスを思い出した。
真偽のほどは分からないが、
"アップル製品の買い換えを考えると故障する"というものだ。どうやら機械がヤキモチを焼くらしい。

実は以前こんな事があった。

1995年以来、私は敬虔なアップルユーザーだった。ところが某ソフトウエアがきっかけでウインドウズマシーンを物色していた。そんな時、我がマックのハードディスクが飛んで(壊れて)ひどい目にあった。マックのヤキモチはやはりあるのだ…そう思った。


まさか、iPhoneではそんな事は起こらないよね!と思っていた矢先の出来事だった。
中国出張中のある日、iPhoneの画面を見たら、真っ白になってウンともスンとも言わない。
帰国してから復元処理をしてみたがダメだった。昨年11月末の事である。
これは困った。後釜の新しい携帯を買ったらiPhoneはiPadタッチとして使おうと思っていたのに…
数万円分のアプリだって残っている。
突然の事で、どうしたらいいのか分からない。
そこで暫く、携帯電話無しの生活を試してみる事にした。
どうしても欲しくなったら買えば良いのだ。

先ずは松戸のソフトバンクでiPhoneを解約した。
説明によれば解約に一万円近くの違約金を払うらしい。違約金は痛いが仕方ない。
携帯の無い生活を始め、二三週間はどうにもこうにも変な感覚だった。仕事の電話は会社でするが、私用の電話は公衆電話を使わざるを得ない。
ここ十年近く公衆電話を使っていない。

電話ボックスは何処にあるのだろう?と外に出てみたら案外近い所にあった。電話をしていると10円玉、100円玉があっという間になくなる。そこでコンビニに行きテレカを買うことにした。今でもあるのかな?と思いつつ聞くと1000円のだったらあるという。それで十分。
喜々として私は公衆電話ボックスに行くが、今時公衆電話ボックスで電話している人は殆ど居ない。少々の気恥ずかしさもあったがいつしか慣れた。

”携帯電話がないと不便”と思い込んでいた。
ところが、どうしても無いと困るというほどではない。
むしろ解放され自由になったように思う。
もし困ることがあるとすると多分それは自分自身ではなく、周りの人間が不便と感じるだけにすぎないかも…と思うようになった。
ただ、愛妻は私の帰宅時に買い物を頼めなくて困ると云っていた。ゴメンネ!
また、嘗ての自分もそうだったと思うが、電車の中で携帯を凝視している人が多いこと多いこと。
考えてみると、携帯というのは一分一秒も惜しみ、そんなに夢中に成るほどの機械なのだろうか?自分が携帯を無くして始めて感じた違和感である。
ある時、愛妻から
「一緒にウィルコム(つまりPHS)にしない?ウィルコム同志だったら通話代タダになるし…」と云われていていた。最初はまさかPHS?と思っていたが、毎月の費用を考えるとかなり有利だ。ある日、妻と一緒にイトーヨーカ堂のウィルコムプラザに行った。良い機種があったら買うつもりだった。
ところが、どれを選んで良いのか分からない。そもそもPHSの研究など何もしていなかった。
取りあえずカタログをもらい、暫く考える事にした。
ウィルコムのXプレート(WX120S) 
ウィルコムホームページより
ある日、ウィルコムのXプレート(WX120S)という機種がプリペイド携帯として売られているという情報を得た。契約も不要だし、いつでも解約出来る。しかもウイルコム同士だったら、無料で話出来る。もし、途中で「やはり他のスマートフォンが欲しい」と浮気心を起こしたら買い換えることだって出来る。
上野方面の店だったが、残りが18台と書いてあり、直ぐ買おうと思っていた。
ただ、Xプレート(WX120S)という機種はWebブラウザやカメラなどの余計な機能は無い。出来るのは通話とメールだけ。でもその割り切りも悪くない。

数日後、納豆好きな納豆友人の
Yさん「ウィルコムに加入したの?使っていないXプレートがあるけど、良かったらあげる」
その言葉に私は飛びついた。Yさんは翌日持ってきてくれた。重さが54gで非常に軽く持ちやすい。何となく背中をドンと押された感じがする。週末までの数日間心が逸った。
日曜日、愛妻と松戸のウィルコムプラザに出向き、ついに契約してしまった。一応三年間ほど契約上の縛りがあるコースだが、、オプションで"誰とでも定額"を付け、ウィルコム同士だけでなく他のキャリアの電話、一般電話もただになるコースにした。

嬉々として契約したXプレート(WX120S)を勤務先に持っていくと同僚に、

「iPhoneからPHSに機種変更とは時代に逆行している」と言われてしまった。また、ある若者からは「英断です」とも…

2010年は
スマートフォン元年なのだそうである。そういえば、テレビでもやたらとスマートフォンという言葉を耳にするようになり、知人友人にもスマートフォンを持ったという人が急激に増えた。
そんな
スマートフォン元年にスマートフォンとおさらばし、何故か電話とメールしか使えないPHSを選んだ。確かに時代に逆行していると云われれば、その通りに違いない。

iPhoneをやめるきっかけになったのはそもそもiPhoneアプリのお小遣い帳だった。iPhoneに夢中になったが故にiPhoneをやめた。皮肉と云えば皮肉の結末かもしれない。
それでもiPhoneは魅了される面白い機械であると今でも信じている。

94 理想,夢か現か幻か?

今年の正月三が日は寒くて家にこもりっきり、食う、寝る、テレビ、ビデオの毎日。そういえばフジテレビ系で「フリーター、家を買う」の再放送が印象的だった。
父親の武誠一(竹中直人)の狂気で深刻な父親像と初々しいまでの主人公の武誠治(二宮和也)の演技に引き込まれ最後までみてしまった。
弁護士の息子を持つ隣家の方が一見して
理想的に見えたが、家族はバラバラ。フリーターの息子を抱える武一家はどう考えてもて理想的ではなく、家庭内はやはりバラバラだったが紆余曲折の後、ハッピーエンドで家庭がて理想的にまとまってしまった。まとめ方が少々田舎芝居に見えたが、シンプルで分かりやすい脚本、進行は案外人の心を打つのかもしれない。
昨年末、イセタン松戸店8階子供広場で聖徳大学学生による「ハンドベル・クワイア・コンサート」が催された。
「ハンドベル・クワイア・コンサート」とはHand-Bell Choir Concert(ハンドベル聖歌隊演奏会)の事で、十数人の女学生さんが目の前に置かれた複数のベルを操作し、クリスマスソングを奏でてくれる。到着した時はすでにコンサートは始まっており、私は後方に立ち素敵な演奏に聴き入っていた。

開催場所が8階の子供広場とあって、赤ちゃん用品やおもちゃ等が売られている。目の前で展示用の木工玉転がしおもちゃで平和に遊ぶ男の子が居た。彼の名前は
"ナキ男"君。少々落ち着かないが、うるさいという程ではなかった。平和な時間が流れる中、突然、売り場の女性社員がやってきて「球を飲み込むと危ないから」と云い残し、球を取り上げいってしまった。

"ナキ男"は数秒の沈黙の後、"玉転がしおもちゃで遊べなくなった"という事に漸く気が付いた。
トンビに油揚げをさらわれた…と言えばいいのか、或いは彼にとっての"青天の霹靂"であったかもしれない。
目の前の
おもちゃを一気に手で全て払いのけてメチャクチャにし、大声で泣き始めてしまった。キレてしまったという訳だ。
"ナキ男"のすぐ傍らにはマスク姿の母親"シツケ・ダメヨ"さんが居た。ところが"シツケ・ダメヨ"さんは子供よりも携帯電話に夢中になっており

「今、メール見ているんだから泣くんじゃねい、このうるさいヨ、このガキ!」
といった様子。

コンサート会場なのだから、
"ナキ男"の母親として直ぐにあやして泣き止ませる、或いはどこかに連れ去るだろう…否、そうしてほしいなあぁ〜と思っていた。ところが、何とこの母親"シツケ・ダメヨ"さん、何を思ったか、ギャーギャー泣く"ナキ男"を見捨て、置いてきぼりにしたまま、その場から離れてしまった。
離れたと云っても数メートル以内の場所だが、相変わらず携帯に没頭している。メールか、ミクシーか、ツイッターか何だか分からないが夢中になっている。母親の
"シツケ・ダメヨ"さんが離れてしまった事で"ナキ男"はさらに大声で泣き出し、コンサート中なのに困ったなあぁ〜と思っていた。

そんな様子を見かねたのか、ある優しそうな女性
"ハクアイ・ユウコ"さんが近づいていった。
泣き止まぬ
"ナキ男"をすぐさま抱きかかえ、優しくあやし始めたのだ。
二十秒も経たないうちに、何と
"ナキ男"は泣き止んでしまった。

"ハクアイ・ユウコ"さんは女神のように映り、置いてきぼりを喰わせた母親"シツケ・ダメヨ"さんの悪口は書きたくないが、母親としての"理想と現実"の対比なんだろうなあ…どうせ生まれるなら理想の母親である"ハクアイ・ユウコ"さんのところだろうなあ…!"ハクアイ・ユウコ"さんの家庭に育てばきっと癇性無き子供として育つだろう…そう感じさせた。
"ハクアイ・ユウコ"さんは大人しくなった"ナキ男"を離すと、一人で自分の母親の居る方へ向かっていった。安心したのだろう。再び他のオモチャで遊び始めた。コンサート会場には暫く平穏な空気が流れていた。
そんな時、何の予兆もなく他の男の子が大声で泣き始めた。原因はさっぱり分からない。"ハクアイ・ユウコ"さんがその子を真剣にあやし始めた事で、"ハクアイ・ユウコ"さんの子供という事がわかった。そりゃ理想の家庭で理想のお母さんでも泣くときは泣くよね…と思っていた。ところがこの子の泣き方が半端じゃなかった。しまいに床に大の字になって大声で泣き始めた。泣き止む様子は全く見えない。癇性は"ナキ男"ではなくむしろ女神である"ハクアイ・ユウコ"さんの子供の方だった様である。
結局
"ハクアイ・ユウコ"さんは手をこまねいていたが、無理矢理子供を引き連れ、その場から立ち去るしかなかった。
この時に思った。
理想的とは観察者によって一時的に映るだけの単なる幻影かもしれないなぁ〜…と

93江戸時代、明治時代


去年から今年に掛け、色々な事が連続した。結婚の準備でバタバタと時間は過ぎ、3月に結婚式、新婚旅行を済ませて以降あっという間に年末になってしまった。年初の寒い冬の後、夏の猛暑、そして再び寒くなったりと・・・
猛暑に苦しんでいた頃、年金問題で三重県で江戸時代生まれ(弘化四年-1847年-)の163歳が生きている事になっていたと話題になっていた。江戸時代というと、遠い遠い昔の事で、現代人の我々にはあまり縁の無いような印象がある。

明治元年は西暦1868年で、明治元年から数え、すでに142年も経っている訳で、当時生まれた人が流石に生きている筈はない。
とは言う物の私が小学生高学年の頃
”明治百年”をテーマに世の中は湧いていた。つまり”明治百年”の年に100歳を超えていた人達は皆江戸時代生まれという事になる。さらに遡り私が生まれた頃であれば元年生まれは88歳前後なので、江戸時代生まれはもっとたくさん居たという事になる。一緒に住んでいた曾祖母が明治八年生まれで、残念ながら身近には江戸時代生まれの人は居なかった。
ただ、私が明治・大正・昭和・平成の人達だけでなく、その前の年代の人とも何処かでお会いしていたかもしれないかと思うと、今更不思議でならない。

竹中直人が監督・出演したビデオ作品”普通の人々(1992年製作)”がある。蛭子能収の漫画のシュールさと筒井康隆の狂気を足して二で割ったような感じで、個人的には面白いと思っているが、あまりに変わり種すぎて、人に薦めるのをためらってしまう。
このビデオ中「こっちの方がすげぇ〜」の”クイズ・江戸時代から生きているのは誰?”と言うコーナーがある。
製作された1992年は明治から数えると明治124年という事になり、江戸時代生まれの人はすでに生きて居ないからこそ、こういう作品もあったのかもしれない。

松戸市の戸定邸に住んでいた徳川昭武氏が撮影した明治時代の松戸の風景に比べると、現代の松戸は全く様変わりしている。ただ、極めて変わったのは衛星都市かが進んだ昭和三十年以降ではないだろうか?と思う。
徳川家というと全く江戸時代の事の様に感じてしまいがちだが、戸定邸の催しに行くとその末裔の方とお会い出来る事がある。その方は徳川昭武氏の兄の徳川慶喜の末裔の方であるが、直接お話ししながら盃を交わすこともあった。そんな時に松戸は面白いと思うし、江戸時代、明治時代はそんなに遠い昔ではなかったのだ…とも思う。
松戸も結構奥が深いのよね!

92謎のビービーおじさん達:香港のお話し


中国語が堪能でお馴染みのゲロゲロさんと深センに向かった。深センへはホンハム駅から鉄道を利用する。
車内で打合せ資料のお復習いを終え、プライベートな話題に移行した。私は、先日のフジタの社員が中国政府に拘束された事件をテーマに持ち出した。すると、ゲロゲロさんは堰を切ったように話し出した。


ゲロゲロさん「私は1980年代前半に横浜の大学を卒業後、中国の某大学に留学していました。軍事施設の撮影はしたことはありませんでしたが、資本主義の国から留学しているという事自体、私は中国政府から疑惑の目を向けられる対象で、絶えず監視の対象になっていたのです。電話の盗聴はさることながら、私が何処でどんな行動していたのか、事細かに監視され記録が残されて居た様です。

いよいよ帰国する日、災いが起こりました。私が中国人しか入れない様な本屋に入り、少々特殊な本をお土産に買ってしまったのです。どうという本ではありませんが、それがあだになったようです。その他いくつかの他愛ない行動を疑られ、パスポートを没収の上、身柄を拘束されてしまったのです。拘束は一時的で、アパートに帰る事は出来ましたが、何といってもパスポートを返してもらえなければどうにもなりません。

尋問は連日続きましたが、悪いことをした覚えはありません。私が話す事など何もありませんでした。ただ、彼らが望むような事を何も言わない(言うこと自体が無いから仕方ない)ので、困っていたようです。埒があかないので結局、『大使館に連絡する』というカードを使い、解放されました」


私の持ちネタを出そうと思い、水を向けたテーマだったが、ゲロゲロさんの武勇伝にすっかり圧倒され、手に汗を握りながら聞いてしまった。私は、それ以上の話など出来なくなってしまったのだ。


気が付くと上水駅(終点羅湖駅の手前)だった。扉が開くと、たくさんの客が乗車、あっという間に席が埋まってしまった。終点手前の上水駅からこれほどまでにたくさん乗車するケースもあると単純に感心していた。ところが、隣の四人席に座った、歳にして40過ぎの目つきの悪い男達が、奇怪な行動に出始めた。
男達四人は突然ズボンの裾をたくし上げた。
次に黒いビニールバッグの中から、細長い透明なプラスチックケースの様なものをたくさん取り出した。そのケースの中には時計が入っているらしい。
どうするのかと?眺めていると、このプラスチックケースを次から次へと靴下と足との間に挟み込んでいったのだ。
いくつ挟み込むのか見ていたら、片足に15〜16本は挟み込みこんでいた。靴下はパンパンになっている。
それだけだとズレてしまうからか、靴下の上からゲートルの如く、セロハンテープを巻き始めた。セロハンテープを引く度に
ビービービービー音がする。
大の大人が四人、
ビービービービー音をさせながら靴下を巻く姿は異様である。周りに座っている一般人もこのビービー音を立てる男達を不審げに眺めている。
巻き終わるとズボンの裾を降ろす。若干裾が太く見えるが、思ったほど気にならない。
この状況は終点の羅湖駅に到着するまでのたった数分の間の出来事だった。私もゲロゲロさんも会話を止め、知らんぷりをしながら覗き見をするくらいしか出来なかった。
羅湖駅に到着すると
ビービーおじさん達は何事も無かったように、一斉に下車し人込みの中に消えていった。


ペンペン草「ゲロゲロさん、あれはやはりニセモノ商品なんでしょうね」
ゲロゲロ「うん、そうかもしれない」
ペンペン草「それにしても、中国で作った物を香港に運び入れるというのは分かるけれど、香港から中国に持ってはいるというのはどうなっているのか?」
ゲロゲロ「私も良く分からないけど、上水駅から乗車して、あんな形で隠し持ってはいる人達は結構見るよ」
ペンペン草「へえ〜」


その後何事も無かったように、香港の出国審査→国境の橋→中国の入国審査→税関と通過し、ロビーに出た。
私はゲロゲロさんより早く出られたので、束の間、ゲロゲロさんを待っていた。ふと隣を見ると7〜8人の男達が立っていた。男達は税関の方向をするどく刺す様な視線で眺めていた。


「あ、あいつらに違いない」と思った。
プラスチックケースを大量に靴下に隠し、ビービー音を立てていた
ビービーおじさん達だった。
多分、仲間が無事通過して出てくるのを待っているのに違いない。
"居心地が悪いなあ〜”と思いつつ待っていると、ゲロゲロさんの平和ボケした顔が見えほっとした。

91  携帯電話みんなで話せばうるさくない!?


香港の電車(MTR)内は実に賑やかで楽しそう、客同士でペチャクチャ、携帯電話でアイヤーハイヤー!と話している人が多い。むしろ賑やかが当たり前で、目の前に携帯で話す人が居ても思ったほど気にならない。日本で気になる携帯騒音が、香港では気にならない大きな理由は一体何だろうか?
自分自身も騒音の一つになってやれ…という諦めに近い一蓮托生型の問題なのだろうか?それとも他に理由があるのか?
日本では電車の中では”マナー”と称し、会話や携帯の通話がなく神経質なくらい静かにしている。お国が違うとどうしてこんなに違うのだろうか?と毎度ながら考える。
ある日、香港MTRの上環駅に到着した際、乗客が全員降りそれまで賑やかだった車内が、ガラ〜んとして何も聞こえない。ただ、遠くで人のざわめく声がこだましてくるだけ…という状態を経験した事があった。賑やかの直後の静寂だけに、実に不思議な感覚であった。
もしこの状態で、隣に携帯を使って電話をする人が居たらどれだけ目立つだろうか…?
この時、ふっと思い出した。

30年前の二十代の頃、静岡県の東名高速沿いにある某新築ホテル客室を見学した。高速道路の近くにある為、特に遮音には気をつけて施工されているという話しを聞いた。窓、客室扉、遮音隔壁はほぼ仕様通りに出来ているらしい。
窓サッシュは高速道路からの騒音を遮断する為、非常に遮音性の高い製品を使っており、ほぼ高速道路からの騒音は遮断出来ていた。ただ、遮音性の高い空間を作ったが為に、今まで気にしていなかったある音が強調されてしまった。これを暗騒音という。
暗騒音の音源としては、エアコンや冷蔵庫のコンプレッサー音等があげられる。
この見学したホテルの場合、高速道路からの騒音が殆ど感じない為に、微弱であった空調の音が暗騒音として気になってしまっていた(冷蔵庫はエレクトラックス社製で特に問題は無かった)。

つまり暗騒音とは今まで廻りが賑やかで目立たなかった存在が、廻りが静かになってしまった為に目立ってしまう騒音の様な存在。音以外の例で言えば、昨日まで社員の殆ど全員が遅刻していたので、自分の遅刻は目立たなかったのに、ある日を境に遅刻する人が居なくなって、気がついたら遅刻するのは自分だけ…というような感じと捉えれば良いかと思う(少々乱暴な言い方か?)。

つまり、香港では廻りが賑やかなので、一人や二人の携帯の会話音は気にならないが、日本においては廻りが静かになってしまっているが為に、携帯で話す人が目立ち暗騒音になってしまう状態と言えると思う。

従って、車内の携帯の騒音を無くす方法として:


a. なるべく電車車内でみんなで無駄話をする。
b. なるべくたくさんの人が携帯で会話する。


この二つで車内での携帯騒音を無くす…否、感じさせなくする事が出来るかもしれない。