表の家

松戸市の昔の案内パンフ
まつど 観光と産業


まつど 観光と産業
松戸市・松戸市観光協会

(昭和35年頃作成されたと思われる)

表紙

裏説明
-千葉大学園芸学部-
千葉高等園芸学校として戦前から日本全国に知られている本学部には、当時から採集された貴重な食虫植物、熱帯植物をはじめとして多種多様の草花樹木があり、訪れる人の目を楽しませてくれる。
ことに「ぼたん」は名実共に天下に冠たるものがあり、、他の追従を許さない。

-八柱霊園-
市の東方、新京成電鉄八柱駅の東南にある東京都の公園墓地で、面積役0.99平方粁(30万坪)の自然の丘陵起伏に人口の砂を加えた優雅なこの一大公園には、土、日曜ともなると成都や家族づれの楽しいハイキング姿が見られる。ことに春秋の彼岸や盆には東京方面から一日約5万の墓参者が訪れる。この墓地には故嘉納治五郎をはじめ多くの知名の士が静かに眠っている。多摩墓地と並び称される。

-万満寺と仁王尊-
臨済宗大徳寺の本寺にして法王山と号し、開基は明らかでないが、一説には約1200年前天智天皇の御代、行基菩薩が東国巡錫のみぎり創立したものと伝えられている。
現在春秋二期に行われる唐椀供養、仁王尊のまたくぐりは古来本山の特殊会式として有名である。また山門に安置せる仁王尊像は安徳天皇の治承4年源頼朝が武運祈願のため千葉介常胤の意を容れて、仏師運慶に命じて彫刻せしめた不動、毘沙門の二体であると記録されている。伝えられる運慶作については詳らかではないと専門家は云っているが、その芸術的価値は相当高く、大正5年8月甲種国宝に指定されたことがある。

-本土寺-
日蓮宗三本三長の一つと数えられる平賀本土寺は、日朗、日像、日輪の三聖人を出した古刹であり、ことに日像産湯の「乳出の御霊水」は有名である。毎年11月の御会式には市内はもちろん京浜各地より参詣者多く、日像様の名は遠く響いている。この参道の両側には、当時特別の関係があった水戸光圀の寄進になる老松小杉が800米にわたり、昼なお暗く亭々として林立し四囲を圧している。

松戸市の概要
松戸市の概要
松戸市は東経139度54分、北緯35度47分の位置にある。地形上交通的価値の高い点では、王朝時代早くも認められ、馬10頭を置く駅が設置された。その頃都から下総、上総、常陸の各国府へ通ずる官道は江戸川を渡って松戸において分かれ松戸を通る道は浜街道の中路として重要視された。
その後平安末期からは、国郡の制度が乱れ、荘園が起こり、荘司出身の豪族が勢力を振るうようになった。下総の豪族千葉氏の勢力はこの地で養われ、上本郷一帯の丘陵を中心に広大な風早荘が形成された。鎌倉時代から室町時代にかけて松戸の性格は一変し、軍事的価値を帯びるようになった。
江戸時代の松戸は水戸街道の宿場町として賑わい、本陣、脇本陣があった。
明治6年千葉県の所管となり、同11年郡区改正により、東葛飾郡の管轄になり、郡役所が旧松戸町に設置されたのをはじめ、つぎつぎに所官署が設けられ政治的地方中心の機能を発揮するようになった。明治22年栗山を合併して町制を施行したが、なお宿場的容貌の名残りもあった。その後東京の発展に伴い衛星的機能を持つようになった。昭和8年明村、同13年八柱村を合併して、大松戸町となり、昭和18年高木、馬橋両村を合併して、市政を施行した。さらに昭和29年小金町を合併、同31年には沼南村の一部をも合わせ、面積61.22平方粁、人口78,000余を要する中堅都市たる実績を備えるに至った。現在首都の衛星都市として都市計画を推進し、金ヶ作には住宅公団による1.68平方粁(51万坪)の新市街建設が行われており、全国新進都市の注目の的となっている。

松戸の産業
戸車とネジ

松の実もなか

ハサミ

六分儀

茄子のよいち漬け
写真右上は玉三白玉粉、左下は 障子スクリーン、右下は オートコック
と書かれています。

松戸の特産
樋野口のかぶ

二十世紀なし

矢切のねぎ

小金のみつば
この中で矢切のねぎはいまだに有名です。また樋野口のコカブは小さい頃から良く聞きました。この川は坂川なのか樋古根川なのか分かりませんが、当時はまだまだこのような風景があったのですね!二十世紀なしは現在鳥取県の方が盛んに栽培されていると聞いたことがあります。ただ、小金のみつばというのはあまり知りませんでした。今はどうなんでしょうか?

松戸市の都市計画図
この地図を見ますと北松戸及びみのり台の工業地帯がすでに計画されていたのが良く分かります。ただ、北松戸工業地帯の南西方向、つまり北部小学校付近から南西方向は薄青色で準工業地帯です。確かに以前は雪印の飼料工場他色々な工場があの一帯にありましたが、現在はどちらかというと住宅中心になってますね。これも4分割して見ます。下記参照。

map 左上 13:江戸川の花火

map 右上 11:小金東漸寺

map 左下

map右下 12: 仁王像と万満寺

松戸の観光
松戸の観光と題されてます。写真が小さいのでもう少し大きく拡大してみます。見たい部分をクリックしてみてください。

7: たなばた競う商店街
多分この道幅から見て、区画整理される前の松戸西口駅前通りだと思います。正面にはバスが一大来ていますが、もしかするとあの色は東武バスかな?バスも行き違う時にギリギリでしたね。それにしても賑やかそうです。
        9: 常盤平団地                          8:平潟児童公園
平潟児童公園は昭和34年12月開園です。

千葉大学園芸学部

松戸市民歌

わが松戸
一、流れも豊か 江戸川の

東に拓く 廣野こそ

われらが郷土 緑地帯

衛星都市の 名を誇る

燦たり松戸市 その光


二、仰げば富士の峰晴れて

文化の華も 咲き薫る

遙かな歴史 承けつぎて

希望に満てる 自治の街

冠たり松戸市 その力


三、明日の意気を 胸にして

誓いも固く 人の和に

正しく清く 溌剌と

心を協せ 進みゆく

永劫なり松戸市 その栄

松戸市企業誘致条例要旨
指定の基準
(新設)
投資額一千万円以上か又は、常時使用する従業員数五十人以上。
(増設)
投資額 五百万円以上

奨励措置の方法
市税の一部又は全部に相当する額の奨励金を交付する。

奨励措置の期間
納税義務の確定した日に属する年度から三年以内。
そもそもこのパンフを作成した目的はもしかするとこの企業誘致にあるのかもしれない。

松戸の観光 その2
2:松戸駅
3:江戸川の清流
4:相模台城址
5:完成近き国道六号線
6:松戸競輪場
松戸駅前の彫刻の台には”自由のうた”と書かれています。
国道六号線の工事については小山の松戸バイパスが1961年(昭和36)に開通する事になります。又、平潟児童公園の開園が1959年(昭和34)12月ですので、このパンフを作成・編集したのは1960年(昭和35)頃と見て良いかもしれません。
松戸の観光 その3
14:本土寺
15:根本弁天
16:八柱霊園
根本弁天とは松戸市役所近く、スタータクシー営業所の隣にある池田弁天様の事で、この当時は弁天様の周りは写真のように池で囲まれていた。

このパンフは最近入手したもので、じっくり見ていくとなかなか興味深い。常盤平団地は今や孤独老人のイメージが強くなってしまっているが、当時は近代的な住居で子供の私も憧れたものだ。本気で「団地って良いな・・・」と思っていた。