表の家

つれづれなるままに16-20


20 電話セールスの撃退

電話セールスにはまともな話などあるはずが無い。
その話が魅力的であればあるほど危険性が高いくらいにしか考えていない。本当に儲かる話だったらそもそも電話など掛けてこないだろうし、セールスマンが黙って一人で儲ければ良い。それをわざわざ電話を掛けてくるのは相手を騙そうとしているからだ。そんな電話セールスをみなさんはどうやって撃退するだろうか?
私はこんなふうに撃退を試した事がある。
例えば、セールスの電話が掛かってきたら、耳から受話器を離して床の上に置きっぱなしにして三十分もそのままにしておけば相手は諦めるのではないか?というやり方……でもこれでは短時間とはいうもののキレが悪い。
そこでここ数年は頭から相手にしない様にしている。

セールス「○○ ○男さんいらっしゃいますか?」
私「はい、何ですか」
セールス「利率の低いこの時代、ご自分の資産をどのように活用されてますか?」
というような電話がかかってきたら、
私「すいません、興味ありません」と言い切り、間髪を入れず電話を切る。

相手をする必要は全くない。
余計な会話をして、穏便に電話を終えようなんて思ってはいけない。
そんな事をすると相手の思う壺、付け入るすきを与えるだけである。
この方法が一番良いと思っている。
でもあの当時は相手をとっちめようなんて、つまらない正義感に燃えていた頃があった。

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バブル崩壊後の1994〜5年のある日、自宅に電話が掛ってきた。
セールス「○○ ○夫さんはいらっしゃいますか?」
私「はい、私ですが」
セールス「私どもはワンルームマンションの投資のお勧めをしている○京マンションです。
本日は○○様に投資へのご説明の為に電話させていただきました」

若く真面目そうな声だった。
そのまま黙っていたら、次から次へと色々な話を始めたので馬鹿馬鹿しくなって私は言った。
私「あんたね、バブル崩壊で会社が不景気になり、ワンルームマンションが売れなくなって来ている現在、ワンルームマンション投資なんてやったって儲かるはずないでしょ!誰も入ってくれない。そんなセールスやめなさい。もう電話なんか掛けてこないでよ。それじゃ失礼します」と言って電話を切った。
今から思えば若気の至りであんな事言わない方が良かったのだが、後の祭りである。
ただ、あの当時の新聞によればワンルームマンションの人気が無くなっていたのは確かである。

五分程して、再び電話のベルが鳴った。
セールス「○○ ○夫さんはいらっしゃいますか?」
私「はい」
電話に出るとそれは先程の男だったが`若く真面目そうな声`から`八九三のドスを利かせた声`に変わっていた。
セールス「おい、お前ふざけんじゃねえよ。こちらは必死になって商品の説明をしてんだ。いい加減にしやがれ」
私はこれ以上、相手にしたら危ないと思った。
私「はい、先程は申し訳ありませんでした。それでは失礼します」
と言って電話を切ったが、その後再びそのセールスからの電話はなかった。

19 「和食が良いんだけど……」とは

先週末、神田神保町での話だ。
古本屋さんで掘り出し物を探し当て、ヤレヤレという思いで喫茶店に入りブレンドコーヒーを注文し、一息ついた。
隣の六人連れの女性客が騒がしかったが、先の古本屋さんで頂いた目録に目を通していたらすっかり自分の世界に入ってしまい気にならなくなった。女性客がやっと帰ると突然静かになってしまった。
今までうるさいと思っていたのだが、居なくなると反動で物足りなくなってしまう。
そんなところへ男性三人の客が来店近くに座った。

先の反動の為なのかどうなのか、歯の浮くような褒め言葉が聞こえてくるのでついこの三人に聞き耳を立ててしまった。
三人の社会的な強弱はすぐに理解出来た。
一人は五十歳台で出版社の単なる担当者風(以下、五十台出版担当)、他の二人は三十歳台の漫画家風のデブとヤセ(以下、三十台漫画家デブ&ヤセ
三十台漫画家デブが積極的に五十台出版担当と話している。
二人は素直な感じで、五十台出版担当に頭を下げて「はい、はい、仰有るとおりです」などと言っている。
五十台出版担当側が実権を握っている立場なのだろう。

それでは五十台出版担当がふんぞり返って、威張っているのかと言うとそうでもなく、気持ちが悪くなるくらい、へりくだっている。


「いや、僕だって漫画見るよ」
「君たちの漫画を採用したのは自然に描けているからだ」
「こういう世の中だからなあ、漫画だけで儲けさせてもらうのも実は不本意なんだけれど」


私は変な奴だなあ……と思った。何故、そんなに漫画家にあんな卑屈ともとれる態度をとっているのだろうか?
私はすっかり聞き耳がダンボ!目録など目に入らなくなってしまった。

三十台漫画家デブ
「それではそろそろ御食事に行きますか?」
五十台出版担当「そうだな」
三十台漫画家デブ「和洋中のうち何が良いでしょうか?」
五十台出版担当だな」
三十台漫画家デブですか!それだったら良いそば屋がありますからそこではいかがですか?」
五十台出版担当「・・・」

暫し沈黙が続いた。

三十台漫画家デブ
「居酒屋で何処かこの近くにあったかな?」
三十台漫画家ヤセ「ぼ・ぼくは・・・」
五十台出版担当「・・・」

私は「おいおい、違うんじゃないか?」と思って聞いていたら、五十台出版担当が自ら答えた。
「ふぐ鍋でも食べたいな」

ほ〜ら!来た。
妙にへりくだって、卑屈に話していた筈である。
「ふぐ鍋でも・・・」言った瞬間顔が歪んだように見えた。
三十台漫画家デブ&ヤセ
「はあ、はぁ〜」

三十台漫画家デブ&ヤセはフグ料理なんて行った事も食べた事も無いという風である。
その後どうなったのかは知らない。フグ料理に行かざるを得なかったと思う。
三十台漫画家デブ&ヤセの二人が気の毒になってしまったが、何となく人生の縮図を見たように思った。

18 アナタハ カミヲ シンジマスカ

勤務先付近に街頭演説の車が来た。日本語がたどたどしい。
「ワタシハァ〜 カミノ トモダチ デ〜ス!」
多分モルモン教だと思う。
彼らは住宅街専門だと思っていたが、虎ノ門界隈にも出没するらしい。

あれは中学生の頃だった。
同級生で近所に住み、陸上部所属、将棋好きのN君が「近所で外人が英語教室を開くから参加しないか?」と言う。
そりゃ面白そうだという事で参加した。

会場は南花島。どう説明したら良いのだろうか?アライハム屠殺場横の坂を道なりに下り渡辺板金屋さんの前を通り過ぎると居酒屋竹美のある交差点に出る。その居酒屋竹美の斜向かいに緑色のテントで「コスモス」と書かれた店がある。
その店舗に以前(と言っても三十数年前)モルモン教伝道師の集会場があった。
(英語の先生がモルモン教伝道師である事は後で知る事になるのだが……)

入口には実用自転車が何台か置いてあり、中に入ると二十歳前後の西洋人男性が数人居た。
細身、ブロンズ、白シャツ、赤いネクタイ、紺色の背広という出で立ちをしていた。
あの時は本当にドキドキした。
そういえばあの服装で実用自転車に乗り、数人で走っている姿を見かけた事があった。

竹ヶ花・吉井町・南花島に住んでいた中学生の男女数人がこの会場に集まった。
殆ど顔見知りだ。
早速、英語の授業が始まった。と言っても教科書を使うのではなく電話機を使った会話の練習や、映画やコマーシャルに登場する自分の好きな西洋人を題材に、自分がその主人公になりきる……というような楽しい授業だった。
当時、マンダムのコマーシャルで一躍有名になったチャールズ・ブロンソンや「ベンハー」(1959年版 ウィリアムワイラー監督)主役のチャールトン・ヘストンが好きだったので私はチャールトンヘストン役になりきる。
「My name is Charlton Heston. How are you?」
と言った具合に自己紹介を始める訳だ。

楽しい授業が終わると伝道タイムになった。前置きもなくだ。
彼らにとってはここからが本題で、モルモン教伝道師としての役目を全うする。
神話の絵が描かれた本を取り出して話し始める。
「アナタハ カミヲ シンジマスカ?」
「カミハ イイマシタ……」
ところが伝道はあまり面白い授業とは言えなかった。
とは言え、中学生の我々にとって西洋人と触れ合うという事はどれだけ刺激になっただろうか?
西洋人と話したというだけで誇らしい気持ちになった……と当時の気持ちを正直に書きたい。

一度、我が自宅に訪問してきた事があった。両親共揃っていた。
彼らは日本語は堪能だったので苦にはならなかった。西洋人に出来る精一杯の礼儀としてコーヒーやコーラを薦めたら「ワタシタチ ワ コーラ ノミマセ〜ン!」と言われてしまった。
宗教上の理由で飲めないらしいというような事を言っていたのを思い出す。

彼らの名刺をもらうと名前の頭に長老と書かれていた。まだ二十歳前後なのに長老とはピンと来なかった。
話によれば長老になって初めて伝道が出来るらしい。
「アメリカの何処に住んでいるの?」と聞くと
「ユタ州デース!」
「!?」
ワシントン州
ニューヨーク州と言われれば「へえ〜!」となったかもしれないが、ユタ州なんて言われても当時の私はそれがアメリカの何処にあるのかどんな場所なのかさっぱり分からなかったし、全く未知の世界だったのだ。

恥ずかしながら当時の私にとっては「外国=アメリカ、アメリカ=外国」だった。
(もっとも、地図を見なければ今でもユタ州が何処にあるのか知らないが……)

17 外地での英語習得の為に

意気揚々として着任したコロンボであったが、英語で不自由した。中学、高校、大学と習った英語は即戦力として生かす事が出来なかった。
スリランカの公用語はシンハリ語、タミール語の他英語も使われる。
スリランカ人の英語は優れている。
ところが彼らの前でいざ話そうと思っても、まるで言語障害になったかのように何も話せない。これが何とも情けない。
学生時代を通じて自分の努力が足りなかったに違いない。
以前、よくこんな事を耳にした。

「日本の英語教育は駄目だ」
「西洋人が教えないと駄目だ」
「会話を重視しなければ駄目だ」


私も同様に思っていた節もある。
しかし、英語力とは結局のところ豊富な語彙力が威力になると思う。そこが先ずスタートだ。
会話の重要性も否定しないが、会話力とは十分な机上勉強の次に自然に従ってくるものだ。
単語、熟語、構文を丸暗記するだけでも十分英語力向上に繋がる。

とは言うものの私と同様、あたがは突然欧米人の前に出されると、あなたは狼狽するだろう。
何を言っているのかさっぱり分からなくて、何を答えていいのかも分からないかもしれない。
それは仕方ないのだ。慣れていくしかない。話す力も聞く力も実践の中で培うしかない。
ところがコロンボ着任当時はそんな簡単な事さえ分からなかった。

急かされるようにしてバタバタバタとコロンボ現場着任した。
その為、入国して一ヶ月も経たないうちに「こんなもの、あんなものが欲しい。ああ、あれもこれも忘れてきたぁ〜」という状態になった。
その一つが英語習得のためのテキストブックだった。
Davidson Roadの宿舎に住んでいたT君は英語力向上の為のカセットテープを持っていたが、私にあったのは社内仲良し女の子三人組Sちゃん、Rちゃん、Mちゃんからいただいた本革製旺文社のコンサイス英和和英辞典だった。
今から思えばあの辞書を丹念に勉強して単語、熟語を覚える事が私の英語力向上にどれだけ役立ったか分からないが、その時は若(馬鹿)かりし頃でもっと安易に考えていたのかもしれない。

コロンボ生活では英語の即戦力が求められた。
最初のうちは周りがフォローしてくれた。当然それに甘えた。
ところがいつまでも回りは助けてくれない。
自分で全てを解決しなければならない状況がすぐそこに待っていたのだ。
「英語力欠如」が生活を貧しくする状況は一刻も早く解決しなければならなかった。
シンガポールオフィスに電話をしたら、「Bad English!(ひどい英語!)」と言われてしまった事もあった。

日本からの出張者に英語習得のテキストブックを依頼、買ってきてもらった。
ところが自分の英語レベルに合わない本では、中々向上しない。普段の仕事にも生かせない。
かゆいところに手が届く本はないだろうか?私は焦りに近いものを感じた。

私はある日、ホテル・インターコンチネンタルのホテルショップに居た。
ホテルショップには欧米人向けの本がたくさんあった。長期休暇でコロンボでバカンスをとる欧米人は多かった。
彼らはバカンスに伴う、退屈で長々と続く日々を刺激で埋め尽くす本が欲しかったのだと思う。
本棚にはペーパーバックの小説が多かったと思う。
良く見ると小説以外に観光案内、そして語学習得の為の本がたくさんあった。
「Spanish」、「French」、「Germany」……これらはそれぞれスペイン語、フランス語、ドイツ語習得の為の本。
端を見るとTeach Yourself Booksの「Japanese(C.J.Dunn 及び S.Yanada著」と書かれた本があった。
これは西洋人に英語で日本語を教える本だった。

私は「へぇ〜!」と感心した。ちょっと読んでみよう。
「どうも」、「ます」、「です」、助詞の「て、に、お、は」とはどういう意味なのか?分かりやすい英語で解説している。

私は閃いた「これは使える」。
多分日本で売っているどんなに高価な英語習得本をしてもこの本には敵わないかもしれない。
しかも数百円程度だ。
早速買ったのは言うまでもなかった。

この「Japanese」は社内仲良し女の子三人組からいただいたコンサイス英和和英辞典と組み合わせることでとても勉強になった。もし同じような悩みを持つ人が世の中にいるとしたら「Japanese」を手に取ってみてほしい。きっと役立つことだろう。

写真はその時に買ったTeach Yourself Booksの「Japanese(C.J.Dunn 及び S.Yanada著」今でも大切にしている。

16 林屋洋品店さんとイナゴ

林屋洋品店さんは根本郵便局の近くにある洋服や学校の制服などを扱っている。嘗ての根本に比べすっかり活気のない根本商栄会の中にあって、林屋洋品店さんはいまだに健在で誇らしささえ感じる。
旧水戸街道沿いの農家の御得意様があるそうだ。これは根本の長野輪業さんも同様らしいが金山神社付近に市場があった頃からの引き合いのお客さんらしい。今でも皆さんが支えてくれるらしい。
さて、竹ヶ花在住のAさんから伺って以降、夏から秋にかけ、根本の林屋洋品店さん店舗の脇が私の関心空間になった。
いくつか植木鉢がある中の一つ稲を植えていらっしゃる。そろそろ刈り入れの時期かな?
実は去年この稲にイナゴが一匹しがみついていた。じっとして動かない。
そして:
「この稲を手放したら私は何処に行けば良いのだ?」という囁きが聞こえるような気がした。
私は答える:
「根本界隈じゃ君の行く場所は林屋用品店さん以外なさそうだよな」
「うん!」


何処からどうやってこの林屋洋品店さんの稲を見つけたのかは分からない。
もしかすると林屋洋品店さんがイナゴを連れてきたのかもしれない。
私が子供の頃、松戸にはイナゴがいくらでも居た。北部小学校とヤマザキパン工場の間の住宅地が田畑だった頃、そこを歩くといくらでも捕まえることが出来た。イナゴは稲を食う害虫だ。それと同時にタンパク源として食用昆虫でもある。
そんなイナゴも探さなければ見つからなくなった(もっとも、江戸川や流山街道沿いの田畑では見つける事が出来るが)。

それにしても一匹のイナゴが「ここぞ我が命」とばかり懸命にしがみついているのを見ると愛らしくなってしまう。
「又来年来るかな?」「今年もしがみつきに来たかな?」と思わずのぞき込んでしまうのだ。