表の家

松戸行脚 ルンルン洋酒館 幻の店


古き良き時代に思いを馳せれば
傾けたグラスの向こうに
あなたの顔が見え隠れ

私が表の家を作り始めた頃、必ずこのルンルンを拠点に動いていた。松戸の事を見聞きする為に色々な人物との接点が必要になる。人脈の少なかった私に対し、このお店のご主人関根勝太郎さんは、色々な素晴らしい人物との橋渡しをして下さった。


「古き良き時代に思いを馳せれば

傾けたグラスの向こうに

あなたの顔が見え隠れ」


これはこのルンルン洋酒館のコンセプトである。関根さんのお気持ちが伝わってくるフレーズだと思う。然し、勝太郎さんはもう居ない。お店も無い。


自分や皆さんのルンルンへの記憶が風化する前に私は記録として残したいと思う。


「ルンルン」沿革

(八百屋時代)
関根さんは外資系の会社や建設会社等への勤務を経て、脱サラ昭和50年代に新松戸と松戸に八百屋を開店。新松戸は「青空市場」、松戸は「桔梗屋」という店名にしていた。松戸の八百屋「桔梗屋」は何回か場所が移り、一番長かったのはダイエー(→Dマート→ダイエー)の前。

ダイエー前の「桔梗屋」では完全な薄利多売で商売だった。それはそれは大乱売で、よくもまあ大企業のダイエーのお膝元で薄利多売を続けられたのか不思議?!種を明かせば新松戸の「青空市場」では充分採算のとれる商売をしていた為、松戸では破格の値段で売ることが出来たとの事。

かなりの安売りだったためダイエーとゴタゴタもあったが結局和解。「あの当時はダイエーの中内功社長を向こうに回してよくやったもんだなあ!若かったらから!」と関根さんは述懐していた。

(ゲームセンター時代)
その後、商売替えが必要になり「ルンルン」という名前のゲームセンターを始める。広さは50坪くらい。ゲームセンター「ルンルン」には当初、タイトーの機械を置いてました。タイトーと「ルンルン」との営業方針が合致せず色々な経緯の末、ナムコのゲームを中心としてデータイースト、アイデム等のゲームを置くことになる。当時は小岩にゲーム機の問屋があってそこを通して取引があったそうだ。

テーブル型のゲーム機が多く置いてあった。同時に、バイクのロードレースゲーム「ハングオン」やジェット機のコックピットゲームの「ミッドナイトラン」等大型のゲームもあった。ゲームセンターは作れば儲かる時代が続いたが、次第にその将来性に陰りが見え始める。商売替えの必要性を感じ始め、その頃からカラオケ業を模索調査し始める。昭和60年頃にはパイオニアにインタビューした事があった。そして1986年前後、ついにゲームセンターを止めた。

(カラオケ・ショットバー時代)
高砂通りのスナック「シャラント」とハワイ松戸店が入っていた建物に新しい店舗を構える事になった。ここでカラオケ+パーティールーム「ルンルン」を始めた(1990年)。途中パーティールームをショットバーに変えカラオケ&ショットバーという店舗に変わります(1997年)。

パーティールームがあった頃とバーになって以降

松戸まつりの時松戸まつりの時は積極的に参加し、店前に模擬店を出店した。身体障害者の方々のバンドを呼んだり、積極的に松戸の為に頑張った。ところが商工会議所との意見の合わない事もあった。

左のご婦人は関根さんの事を贔屓にして応援してくださっていた。実はご婦人、私にとっても大変懐かしい方でして今でもお元気でなによりです。”F”の店主、優しいおばちゃまでした。

左は幻のカレーとなってしまったカシミールカレー。新しいメニュー用に私が撮影。

(カレーショップへ向けて)
数年前から商売の鞍替えを考えていた関根さんは秋葉原に良い土地が見つけカレーハウス開業を考える。私も図面上での相談は受けた。狭い敷地ながら、デザインの内容はかなりモダンな女性受けすると思われた。カレーハウスルンルンは2005年に完成だったが、工期が延びに延びて結局2006年9月25日にやっとオープンにこぎ着ける。しかしながら設備上の問題があり、三日目からは店を閉めてしまった。

私は松戸のルンルン洋酒館でこのカシミールカレーを食べた。激辛だったがとても美味しいカレーだった。





(最後に)
色々な事から心労がたたり、2006年11月初旬帰らぬ人となってしまった。在りし日のお姿を偲び、心からご冥福をお祈りいたします。
色々と面倒を見て頂き誠にありがとうございました。
関根さんの存在によって、現在は松戸について語る貴重な友人をたくさん得ることが出来ました。これもひとえに関根さんの引き合わせであると思ってます。

古き良き時代に思いを馳せれば
傾けたグラスの向こうに
あなたの顔が見え隠れ


この「ルンルン洋酒館 幻の店」は松戸行脚2007において作成、2008年10月リメークした。