表の家

飲み屋あれこれ松戸は楽しい26-30


30  だいこん−松戸駅東口

「だいこん」はカラオケのある韓国居酒屋。場所は元季節料理「マザーグース」のあった京葉ビルの
二階。この京葉ビルは雑居ビルで上階に風営店がひしめき、呼び込みも待ち構えている。実に近寄
りがたいビルなのだ。
季節料理屋「マザーグース」のあった二十年前から状況としては変わらず、(当時は風俗店の呼び込
みが尋常でないくらい激しかった)臆せず平気で二階の季節料理屋「マザーグース」にたどり着いた
のが今となっては不思議。

「だいこん」は女将が一人で営業している。ケジャンという蟹の辛味漬け料理を初めて食べたのは
「だいこん」の前身の韓国居酒屋「かずちゃん」である。20年前、韓国料理と言えば焼肉しか思い浮
かばなかった私にとって、ケジャン、焼き海苔、センマイ、チャンジャなどの料理を知ったのはここの
女将のおかげである。当時は韓国料理店が少なかったので、みなこの店に集まった。そして流行っ
た。

今は同様の店がたくさん増え中々難しい時代になったようだ。北海道出身の歯医者、K君もこの店の
常連だった。沖縄出身で銀座八丁目の洋風居酒屋「黒船」店長だった男はすでに他界。小根本で
「ナポレオン」というパブに勤めていた男も行方しれず……今でも「だいこん」の客として継続している
のは、コンピュータ業界の山ちゃんだけかもしれない。山ちゃんは六本木で独立し自分の事務所を
持ち、テレビ局相手にしっかりとビジネスを行っている。

ところがこの「だいこん」は2008(平成二十)年三月末に廃業。韓国に帰るらしい。最後の営業日に
私はあのケジャンを注文し思いっきり食べた。そしてマッコリを飲んだ。
女将、お元気で!

29  東口の板前小林君

松戸市東口の居酒屋を点々とした板前、故小林君の事をご存じの方はいらっしゃるだろうか?東口界隈で長く働く同業者であれば、多分知っていると思う。そこで客の目から見た故小林君について記憶が薄れる前に一筆認めようと思う。

初めて板前小林君に会ったのはまだバブル景気の頃の1987〜88年頃だった。それは季節料理「M」で雇われていた頃だった。私は素人なので本来の板前としての腕のレベルをここで述べる行為は分不相応、ただ小林君が作る山芋の千切りは実に繊細で芸が細かく感心したものだ。
ある時、季節料理「M」の従業員だった着物姿のヨウコちゃんのお別れ会が催され、常連の私も誘われた。この日、小林君が隣席だった為、彼の波瀾万丈を存分に聞いた。バイクの事、グループの事、恋人との出会い、そしてその恋人(婚約者)との破談の事……文章化すれば面白い一文になるかもしれないが、同時にあまりにプライベートな内容であり、彼の名誉の為、記録せず私の胸に留めておく。

小林君は暫くして季節料理「M」を辞めた。てっきり`独立`と思っていた。「独立したら是非常連に…」そう思っていた。ところが結局、彼は転職を繰り返した。繰り返したと言っても、転職先は松戸駅東口界隈から離れなかった。最初に移った先は東口の「膳丸」或いは「維新号」(ラーメン屋を出す居酒屋)だったかもしれない。バス停からビルの半外部通路を通っていく場所である。この時は何度か通った。

次は旬菜厨房「花まる亭」という割烹料理屋。新東京病院付近ラブホテル街、郵便局前ビルの二階。この時は確か小林君とオーナーとの食に対する考え方が違い、そりが合わず辞めた。店を畳んだから辞めたのか、辞めたから畳んだのかは分からない。当時、私は香港赴任していたために詳しくは知らない。私が香港から帰った頃(2000年)小林君は何故か韓国居酒屋「かずちゃん」の板前になっていた。

韓国居酒屋でありながら小林君は刺身など和食で出すようなメニューも含め、店を切り盛りしていた。「かずちゃん」の三代目ママはこれを容認し、むしろ信頼しきっている様に見えた。ところがこの当時の小林君はすっかり酒浸りになっていたんだな。昼間会っても真っ赤な顔をしていて、私が飲みに行くとしらふを装っていたが、かなり酔っているのが分かった。心配はしていたが、元々色白なので顔色は悪く見えなかったし、それほど深刻ではないと思っていた。

ところが小林君はある日倒れた。階段から落ちたとの事だった。実は脳溢血だった。飲み続けていたからやむを得ないかもしれない。ぶっ倒れて病院に運ばれたが殆ど助からない状態。そして昇天。

他界後暫くして焼き鳥「アホウドリ」で呑んでいると店主と小林君の話題になった。焼き鳥「アホウドリ」のご主人は(バイク仲間だったのかなあ……)よく小林君を知っていて、慕っていたそうだ。そういえば小林君は若者の面倒見は良かった。店にも良く来てくれたそうだ。

又、韓国居酒屋「だいこん」(平成二十年三月廃業)のママが二十数年前、韓国居酒屋「かずちゃん」を始めた頃……ママは商売の`し`の字も分からず、お通しの出し方も、ウーロン割りの作り方も知らなかったそうだ。つまり全くのド素人同然で若さが故で韓国居酒屋を始めてしまった口で、開店しても暫くは客が来なかったらしい。当時は韓国居酒屋という業態自体が珍しい松戸だったのだ。

客が来ても要領を得ない、それでも開業資金の借金があるのでママは必死。そんな状態の韓国居酒屋「かずちゃん」に殆ど初期から常連になってくれたのが小林君だった。ママがあまりの素人だったので、彼もびっくりしたに違いない。小林君は木訥としてあまり言葉には出さないが、態度や振りで色々な事を教えてくれたんだ。小林君の一つ一つのアドバイスのおかげで店を軌道に乗せ結局二十数年も営業する事になったんだとさ。ママはある日しみじみと語っていたヨ

小林君、改めてご冥福をお祈り申し上げる。私は今断酒の状態だよ。君の分も長生きするね。

ヤキトリ”A”のマスターからもらったお宝画像です。

28  おにぎり「大徳」-松戸本町

松戸の西口、アリタフルーツの横に入り数十メートル歩いた右側にある。ちょうど「治平鮨」の斜め右前にあたる。「大徳」はおにぎり酒場で8人も入ると満員になってしまう小さな居酒屋だ。6人程座れるL字カウンターと小上がりの座敷があるが、座敷はジャケットや鞄置き場に使われる事が多く、そこに座る人は少ない。

「大徳」は女将さんと妹のキクエさんの二人で営業している。女将さんはホール担当で、お酒を造り、お通しや箸のセットをしてカウンターの端に立つ。キクエさんはカウンターの中で料理を担当する。

カウンターの付け台には大皿がいくつか並んでいて、本日の料理が盛られている。おから、ひじきの煮付け、海老しんじょう、イワシやニシンの佃煮、焼き卵、酢豚、ブリ大根等々。野菜が豊富に食べられるので嬉しい。メニューを見るとその他様々な料理がある。

私は「大徳」では通称「ヒデちゃん」だった。バラエティ番組の進行役などをしている中山秀征に似ているからだという。何故か初めてお会いするお客さんからも「ヒデちゃん」に似ているといわれた。

流山市加四丁目の手打ち蕎麦屋「たけだ」さんも「大徳」の常連だった。自分の店が休みの火曜日に来た。たけださんは飲むと顔が真っ赤になり、最後は声が大きくなってしまう人だったがとても良い人。たけださんは子供の頃(それは私の産まれるずっと以前)竹ヶ花の飲料屋藤井商会付近(もっとも当時は藤井商会が飲料屋をしていたかどうかは未明)に住んでいたと聞き妙に親近感を憶えた。女将からの薦めもあり、流山の手打ち蕎麦屋「たけだ」に行った。そこは店舗でありながら、住宅にお邪魔するような感覚で店内に入る。本格的な十割蕎麦や鴨肉などこだわったメニュー造りをしていた。

話が横道にそれた。私が「大徳」に立ち寄ったきっかけがある。それは「大徳」の先代のご主人が大工の棟梁で、竹ヶ花の雷電神社の鳥居の工事の際に仕事をされたと父に聞いた事があったからだ。それならば一度は立ち寄りたい。昔の話も聞けるかもしれない。然し初めての店は入りづらい。何度も「大徳」の前を通り過ぎては断念し、そしてある日初めて暖簾をくぐった。

その日は自分のリズムに合う良い店に出合ったと感じ、良い気分で飲んだ。こぢんまりして落ち着いた良い店だと思った。後日談として私が一見の客だった為、客も含め若干の噂になったらしい。結果的には女将に気に入ってもらえ、いつしか常連として受け入れられた。しかも安い。2000円を超えたことが無い。勿論「大徳」は私の好きな店になった。

ところが2007(平成十九)年の秋からお店を休んでいる。いまだにシャッターが開かない。二三度女将にあったが「暫くはすいませんね」との事だった。「遠州屋果物店」のKさんも心配していた。飲み仲間のT&Hコンビ、Yちゃんも心配していた。早く復帰してもらいたいものだ。

27 続テッチャンとニュー上州屋ー高砂通り

松戸本町高砂通りにある`ニュー上州屋`が改装中らしい・・・名物男テッチャンの怪我以降暫くお見かけしませんでしたが、平成19年秋葉神社の祭礼の際、御神酒所でそのお姿拝見致。概ねお元気そうで何より。母は乾物屋`ニュー上州屋`の頃よくお店に買い物に行ったそうだ。
その為か居酒屋になって以降全くお店に行ってないに関わらず、街で会うとテッチャンは覚えていて丁寧に挨拶をしたそうだ。`ニュー上州屋`がいまだに繁盛しているのも、そういった商売人としてのきちっとした心得が故なんでしょうなあ・・・改装後、より良いお店になってね!

26 テッチャンとニュー上州屋−高砂通り

2007(平成十九)年某月、松戸本町にある飲み屋街(マーケット)に車が突っ込んだらしい。 駅前通り側から一方通行の筈の高砂通りを逆走し、ニュー上州屋と松戸酒場の間の空き店舗に突っ込んだ。しかもまだ明るい時分で酔っぱらい運転なんだとか……突っ込まれた店舗自体は空き家だったので良いとしても、不運だったのは「ニュー上州屋」の名物男、通称「テッチャン」が店舗と車に挟まれて怪我をされたのだとか・・・

私がまだ20歳そこそこで松戸の飲み屋街を歩き回り始めた頃は、すでに「テッチャン」は大きな声を張り上げていたので随分年期を積んだ方なのだと思う。従って、年齢は私よりもかなり上だと思うが、小柄で白い作業着に汚れた前掛けで、ツバのついた帽子を被った独特のなりで、一見してそれほど年寄りには見えない。近所の大先輩N氏によればテッチャンはあの甲高い声と独特の口調で例の「ぃらっしゃい、ぃらっしゃい」が特徴。

帰宅途中、車の突っ込んだあの店舗と「ニュー上州屋」を横睨みしながら歩くが、少なくともここ数日「テッチャン」の姿は見えない。あまり行かない店ではあるが「テッチャン」に関しては別格で非常に心配である。

ニュー上州屋はAK氏と二十年ほど前に何度か飲みにいった事があった。居酒屋なのにラーメンまで出す店で、生ビールを飲んでいる最中にラーメンを食べる。最近はラーメンを出すのかどうかは不明……

写真は突っ込まれた店舗、青いビニールシートが掛かっている。