表の家

昔日の松戸86-90


90  松戸市立第六中学校校舎跡地-上本郷

松戸市上本郷の旧松戸市立第六中学校校庭に行った。現在ここは上本郷第二小学校になってい
る。六中が千駄堀に越した為だ。建物も校庭も当時とは異なっていてその面影は斜面林にしか見ら
れない(写真は当時の六中校舎の写真で「松戸市の歩み写真集」より転載させていただいた)。

写真の様に六中の頃は木造の校舎が高さ5メートルほどの高台に三棟並んでいた。一番奥に講堂
があり、犬走りで卓球部が素振りをしている姿が見られた。手前と二番目に教室があり、パンの売
店は真ん中の校舎だった。

校長室や職員室は一番左の建物の一階正門側、体育準備室は同建物の校庭に近い方にあった。
高台に下にバレーボールのコートがあり、表の家近所の松戸商事のお嬢さんが華麗に練習してい
た。又、生徒会長になった松尾君はこの校庭で選挙演説の時に「ベストよりベター」という名文句を
残した。

正門は一番左の校舎の妻面にあり、正門を過ぎると「ナオミ」という文房具屋さんがあった。「ナオミ」
では数枚単位で塩せんべいが買えた。紙の袋に入っていて枚数によって値段が違う。必要な分だけ
を手持ちのお金の範囲で買うことが出来た。買い物をすると「ナオミ」のサービス券をくれた。このサ
ービス券は金券となり次の買い物で使うことが出来た。

その他同級生の安藤君の家で営業していた「安藤文具店」もすぐ近くにあった。安藤君は北部小学
校5年生の頃転校してきた友人だ。小学生当時は同じクラスで、同じ六中に入学した。安藤君はとて
も優秀な人物だった。安藤文具店はその後廃業して、居酒屋になっている。

さて現在、木造の三棟校舎のあった高台は全部切り取られ、平地になってしまい、当時の面影は殆
ど無い。辛うじて変わってなかったのは校庭向かいの斜面林。校舎後方かなり先の方にあるビルは
多分、阪田工務店の阪田マンションだと思う。

阪田建設や楢原工務店など、松戸の建設会社の多くは経営が傾いてしまった。

89 家屋調査とタッちゃん

昭和四十六年頃、市による家屋調査が大々的に行われた。固定資産税の対象となっている建物の規模など記載と間違いがないか調べる。これは市の資産税課の職員数人が間取りなどを調べて回る。母によると表の家(我が家)の調査員は何と二軒隣に住んでいるお兄さん、タッちゃんだったらしい。当時は市役所の職員だった。

タッちゃんは松戸駅近くの常磐館(映画館)に上映中だった鉄腕アトムを見に連れて行ってくれた優しいお兄ちゃんだった。家屋調査の日、気が引けるのかタッちゃんは大変申し訳なさそうにして表の家(つまり我が家)の中に入らなかったそうだ……

タッちゃんとお兄さんのミッちゃんは現在住まいを移し、他の場所に住んでいる。ミッちゃんもとても親切にしてくれた近所のお兄さん。奥様もとても気だてが良く素敵な方。時々三軒先の「看板の無い美容院」にやってくる。ミッちゃんは五香でラーメンむつみ屋五香店を運営している。興味のある方はどうぞご来店下さい。

88  風俗環境浄化重点地区

みんなで協力!明るい環境
風俗環境浄化重点地区
社団法人 千葉県防犯協会 千葉県警察
松戸駅付近伊勢丹前の通りと旧水戸街道とが交差するT字路付近でこの看板を見つけた。この界隈はふれあい通り付近にキャバクラらしき店がある程度で、殆ど風俗営業らしき店は見つからない。このスローガンが全く無意味と思えるほど松戸の街が浄化されてしまっているのは、住民にとっては歓迎する事なのかもしれないが、街の発展という側面で見た場合良いことなのか悪いことなのかよく分からない。

今の松戸はすっかり街の浄化が進んでしまい、いわば脂っ気のない蒸し鶏の様だ。街が賑わっていた当時の松戸はヤ○○達が跋扈するような怖い側面も確かにあった。それと同時に活気があり、夜に散歩しても楽しい街だった。今はかつてより危険が無くなり安全になったが、同時に活気も無くなったように思う。

江戸時代より松戸は鮮魚街道の大切な拠点であり、河岸を中心に栄えた。納屋川岸以外にも下河岸があり金町への渡しのところ。本陣、脇本陣のある旧水戸街道には旅籠屋は多くあったらしいが、所謂飯盛女の居る旅籠屋は平潟にできたらしい。それが後の平潟遊郭となる。

明治以降になっても商店街の中心は水戸街道と河岸の周辺だったため、松戸駅付近は後発組。現在の角町の寂れた街並みを見るに付け悲しくなる。風俗を肯定する訳ではないが、それによる利益を持つ人間が現れるのは当然で現在は細々として、業態を変え小規模な商売が今でも続いているようだ。

私が二十代の後半になるくらいまでは松戸駅付近にはストリップ劇場、ピンク映画館、チェーン展開するピンクサロンなどが栄えていたがすっかりなくなってしまった。二軒有ったソープランドも岩山稲荷下の一軒を残しているのみ。その他訳の分からない風俗店らしき物は西口の一部と東口の一部にこぢんまりとだが残っている。

街全体の活気を風俗の減少に求めるのは少々乱暴な考えかもしれないが、無関係とは言えないと考えている。いずれにしても街全体の活気が今ひとつで子供の頃に見た有機的で界隈性のあった松戸の街は今はない。

87  竹の湯と女湯

母が自宅でかき氷商売を始めて以降、私は一人で男湯に通わざるを得なくなった。小学四年生の頃、お店が休みの日に「たまには一緒にお風呂行く?」と母から誘われた。母と一緒に行くと言うことは女湯だが恥ずかしさなど全く感じる歳ではなく、断る理由も無いので勿論一緒に行った。

さて久しぶりの女湯だなあと思いつつ、服を脱ぎ捨て湯船に向かった。ところがなんと同じクラスのミチコちゃんに出遭ってしまったのだ。ミチコちゃんはとても恥ずかしがっている。恥ずかしさなんて無縁の筈だったのに私もとても恥ずかしかった。

小学校四年生の女の子と言えば意識的にかなり大人になりかけている。否、身体的にも変化が現れる頃かもしれない。ミチコちゃんはじっと私睨んでいるように見えた。とにかく一言も話をしなかった。とにかく湯船に入り、洗い終わって銭湯を出るまでの間はただ一心不乱にカランの方だけを見ていた。それ以来女湯は一切行かなくなった。

86  竹の湯と近所付き合い

先述通り小学一年生から一人で銭湯に通わざるを得なくなった。「一人で通ってしっかり身体を洗ってエライね」……?
いやいや、とんでもない。遊んでばかりいた。銭湯の遊びにはいくつかある。一つは潜水。湯船の浅い方と深い方は湯量のバランスを取るため、仕切りの下の方が開口していて子供だったら、潜水して行き来が出来るようになっている。

もう一つは尻滑り。浴槽洗い場側の縁に手を掛けてしゃがみ、足裏で浴槽を思いっきり蹴っ飛ばす。そうすると水上スキーの如く、洗い場のタイルの上をお尻で滑っていく。これが案外面白い。ただ、後ろ向きに滑るので人にぶつかって危ない。

私はいたずらっ子でしかも家でかき氷屋さんを営業していた事もあって、近所ではよく知られた子供だった。従って、多くの大人の監視下にあったと言える。遊んでばかりいる私を見るに見かねたおじさん達は時々私の背中を流してくれた。

そしてそのおじさん達は帰りしな母の営業しているかき氷屋に立ち寄り、かき氷を食べながら全てばらしていく。「おい、おたくの息子は遊んでばかりで洗ってないからおれが洗ってあげたぞ!」てね!竹の湯はまさに近所のコミュニケーションの場だったのだ。

当時、家風呂を持つ人は少なく、殆どの人は銭湯に通った。洗面器を持って銭湯に通う。曜日や時間帯によって竹の湯は混雑した。混雑するとカランの前に座れない。従ってカランとカランの間にしゃがんで先客の斜め後ろで、居候の如くお湯をいただきながら洗う。文字通り肩身が狭い。

湯船の中で空くのを待ってもそうそう簡単に空くわけではない。だから情けないのを承知でお湯をいただく。みんなそうしていた。