表の家

昔日の松戸56-60


60 とんかつ「燕楽」−イセタン通り

伊勢丹松戸店前にあったとんかつ屋「燕楽」。二〇〇六年店主が他界し廃業してしまった。庶民的
なこのとんかつ屋「燕楽」に度々立ち寄った。カウンターの中で店主がとんかつを揚げていたが、冗
談にも愛想は良いとは言えなかった。ただ黙々とトンカツを揚げるいわば職人だった。

商売とは良くしたもので、店主の無愛想とは正反対にここの奥さんはいつも明るい笑顔で愛想が良
い。寅さん映画に出てくる「さくら」役の倍賞千恵子さんそっくり。少々料理が出てくるのが遅くてもこ
の「さくら」さんが明るく対応してくれると、唯々嬉しくなってしまう。無愛想の店主との対比が面白く、
店に行く楽しみの一つだったが、店が無くなってしまい残念である。

59 パスカル(マッキントッシュ販売)−根本商店街

松戸市根本のオークハイツの一階にアップル社(マッキントッシュ等)製品を主に扱っていた革新的なお店があった。名前は「パスカル」
ここの社長が安藤正人さんと言って、人並み外れてマッキントッシュ関連の情報に詳しかった。

一九九九年当時同社のホームページでアンディーマックとカウントマックの短文を掲載。この短文からアップル社の考え方や動きが伺うことが出来た。私はアンディーマックの正体が安藤さんじゃないかと思っていたが、安藤さんに聞くと否定していた。安藤さんは「本人を知っている」と言っていたが本人そのものじゃないのか?

それはともかくこのお店に行くと事務をとっていた女性(青山さんだったかな?)がブレンドコーヒーを立ててくれる。ありがたくて、どうしても長居になってしまう。面白い店だったなあ・・・

今では信じられないが、マック以外のパソコンはWindows95が発売される以前、画面は文字画面で操作するというのが当たり前だった。それに比べてマッキントッシュは一九八三年にGUIと呼ばれるグラフィックな画面でパソコンを操作する製品を市場に発表した。(GUI:グラフィック・ユーザー・インターフェース)

勿論これはゼロックス社に属するPARCで開発された技術を利用した物であった……その後、アップル社は次々にGUIによる製品を発表した。GUIによって操作できるというのは全く先進的な考えであって、ファンも非常に多かった。ただ、当時マッキントッシュは高価だった。貧乏人の私には変えない代物だったのだ。それが今や随分やすくなり又、iPODiPHONEといった製品も大ブレークしている。パスカルに話が戻る。

この店は当初「マーボーブー」という社名だった。私が一九九一年にイスタンブールから帰国した当時の話だ。ところが、当時秋葉原に「マハポーシャ」という某カルト教団の営業していたパソコンショップがあった。
「マーボーブー」「マハポーシャ」名前のニュアンスそっくりで当時はどっちがどっちなのか勘違いした。まさか松戸にもあれがあるのかと思った事もあった。これらは勿論は全く別の会社だったが、紛らわしい名前と感じたのは安藤さんも同じだったらしい。

その後、私はマッキントッシュユーザーになった。直後香港に赴任してしまい、松戸の事情が分からなくなった。久しぶりに松戸に戻ったときは「パスカル」という店名に変わっていた。

然し、二〇〇一年、シャッターが閉まったままのお店になってしまった。同時に「パスカル」のホームページも見られなくなってしまった。同社が扱っていた製品、パスカルライト(ワープロソフト)、マリーナJ(表計算ソフト)は別の会社の管轄になってしまった。松戸の根本にあって、あんなに斬新的な製品を置く店、マック派の私にとっては神様みたいな存在のあの店が無くなってしまった事を私は非常に残念に思う。
また、数年して同ビルの地下階にあったModEというファッション画用の素材集を販売していたお店も行方が分からなくなった。

58 揚げ物総菜「助六」ー竹ヶ花踏切付近

松戸市竹ヶ花の踏切を西に渡ってすぐ左に「助六」という揚げ物を売る総菜屋があった。昭和三、四十年の頃の事である。後に複々線が出来て土地の買収等がありこの近辺も引っ越しなど色々とあり、この店もなくなった。踏切も閉鎖され果たして何処にあったのか正確な位置が良くわからなっている。さらに時代は下り、この付近に札幌ラーメン「エゾフジ」が出来、それも又消えた。

「助六」があった頃、母はまだ二十歳代で、当時は自宅で揚げ物を調理するよりは買ってくる方が多かったそうだ。他の店で買ったイカフライは、イカがツルっと抜けてしまうのに、この「助六」のイカフライはきっちりくっついていたそうだ。しかも歯触りもなんとも言えない。

母「どうやったらそうやって揚げられるの?」
助六「イカはね、新鮮なイカを揚げないと駄目なんだ。新鮮なイカをさらっと短時間で揚げるんだよ。揚げ過ぎちゃ、こうはならないんだよ」


主婦は商店街でこんな形で料理を習い成長する……
現在、揚げ物等の総菜はスーパーでパック入りで売られている。商店街と違ってスーパーは人が少ないので店主との会話も少ない。客も人との接触を嫌がる。結局料理が上達せず、出来合いの惣菜しか買えない人も多いと聞く。
るみちゃんブログのるみちゃんは小学校の頃、この助六のコロッケを食べたと聞いた。

☆助六の写真はご近所にお住まいだった小倉様からいただいたものです。
ありがとうございます。
2013/03/30更新

57 続続・大木さんの倉庫(米等級)−竹ヶ花拾石台

大木さんの「倉庫」を管理する人は何回か替わった。ある時は千葉食糧出張所という名前であった時もある。先述したように米を運ぶときにたくさんの米が溢れ落ちる。これを常駐していた倉庫留守番の人が拾って篩(ふるい)に掛ける。篩はしっかりとしたワッパの底に金網が付いている道具。いくつもの篩を使う。

最初は目の大きい物から始め大きめなゴミから取り除いていく。いくつもの篩をつかい最終的には米だけが残る。これをその人が食べたのかどうなのかは定かではないがが、それを見た母は大変感心して見ていた。米にはJASによる等級があri、一等から五等までの五段階に分かれている。一番品質の良いのが一等米で品質が最も低いのが五等米。

三等米は標準米として普及していた。五等米は通常くず米だと評価される事が多かったが、良い米が豊作であったり色々な理由で五等米でも十分美味しい良い米が買えるという事もあった。そんな事から「倉庫」管理者が母に教えた。
「良い五等米が入ったから五等米を買った方が良いよ」

(写真は米の等級マーク)

56 続・大木さんの倉庫(雀)−竹ヶ花拾石台

子供の頃大木さんの「倉庫」に入ったことがある。夏であるにも関わらず中は冷〜とした空気が漂いて実に気持ちが良い。同時に米と南京袋(麻)の何とも言えない臭いがした。
床の上にスノコが引いてあり、その上に南京袋入りの米が積んである。積み荷の最高高さが低く設定されていたと思うが、かなりの高さまで積んであったような記憶がある。

麻袋の為か、床には米がたくさんこぼれて黒い浜納豆のようなネズミの糞がたくさん落ちていた。

米を拾い上げると中にコクゾウムシがうごめいていた。子供の頃、炊いたご飯を食べるとガリッと石を噛むことがあったが今はそういった事は殆どなくて、虫一匹見つからない。綺麗すぎてむしろ気味が悪いと思う。倉庫が出来て初期の頃は米俵もあったと思うが、あまり記憶がない。

当時「倉庫」の前にはたくさんの雀が集まっていた。麻袋を運ぶ際に米が溢れる。これをスズメが狙う。運搬のおじさんが南京袋を担ぎ上げるとき釜とツルハシを組み合わせたような道具を使った。柄(つか)が木で、先が鶴の嘴のように鋭く尖り全体に反っている道具で、ザクっと勢いよく刺し、エイっとばかりに肩に担ぐあの道具。名前は分からない。あの道具を南京袋にさし込むときに米がこぼれる。これを雀がついばむ。

私はこれらの雀を簡単なトラップを作成して捕まえようと思ったことがあった。ザルを棒で微妙に立てかけ、棒に長いヒモをつけて、ザルの下には米を置き遠くから様子を見ている。雀が入って食べ始めたらヒモを引く→棒が外れ→ザルが倒れ→雀が捕れるという寸法。

ところがこの「倉庫」はそもそも米が豊富だったために、危険を冒してまで私のトラップの米を食べようなんて奴は一羽もいなかった。

ある時期からこの倉庫に雀が集まらなくなった。理由は運搬方式の変化。南京袋(麻)で運ぶという事がなくなり米を紙袋に入れるようになった。さらに、スノコと米袋約50袋の1ユニットを小型クレーン車でコンテナー式に運ぶようになったから。あの小さなツルハシは使わなくなったようだ。

時代が変わると生態系も変わる。
(写真は坂川小山付近で撮影した雀)