表の家

昔日の松戸26-30


30 大和屋菓子店−根本商店街

長野輪業の先に大和屋菓子店があった。私の記憶では贈答用のお菓子の他パンを始め様々な食
品を売っていたと思うが、よく覚えていない。店の全面にガラスのショーケースがあって、対面式で売
っていた。可愛いおばあちゃんが店を仕切っていて、不二家のペコちゃんみたいなイメージでとても
活気のあるお店だった。

ある日次男の方がアメリカで修行してきたとの触れ込みでステーキ、ハンバーグがメインの洋食屋を
開いた。当時の私の外国観なんてものは「アメリカ=外国」だと思っていたので、実はアメリカではな
かったかもしれない。

木造モルタル造りの小さなレストランだった。お店に入ったホールは二階まで全体的に吹き抜けにな
って天井が高かった。二階席もあった。ここの特徴は鉄板で焼いたままテーブルに供する事だった。
目の前で牛の形をした鉄板の上でジュージュー音を立てている姿は刺激的。今では珍しいスタイル
ではないけれど、当時は斬新だった。セットに付いていたキャベツサラダが人気あった。確か、万博
の前後まではお店があったように思う。

松戸市立図書館の手前に松戸商工会議所のビルに「スエヒロ」というレストランがある。ここのハン
バーグは大和屋レストランの味を思い出す。提供の仕方も似ている。店主に確認してみたが大和屋
とは全く関係のない人だった。大和屋さんのご長男はその後南花島の山崎パン工場付近に移りデイ
リーヤマザキ(コンビニ)を営業していたが、2006年2月15日に店をたたんだ。

29 保証牛乳と牛乳配達

牛乳は新聞同様配達されるのが普通だった。牛乳販売の営業所に月契約で注文すると郵便ポストのような牛乳箱を木戸や玄関の横などに設置してくれる。朝、配達のお兄さんが自転車の後ろに木製ボトルコンテナーに牛乳をたくさん積んでやってくる。牛乳瓶が小気味よく、チャランチャランと音をさせながら走り去っていく。松飛台に保証牛乳の会社があったためか、私の家では保証牛乳を飲んでいた。

現在、スーパーやコンビニに行けば牛乳はいくらでも買うことが出来る。これは冷蔵施設が普及・浸透したからであろう。今から40年程前は飲み物を冷やして売るのは飲食店が中心で、小売り店で冷蔵庫を設置し冷やして商品を売るという店は少なかったと思う。世の中が氷式冷蔵庫から電気冷蔵庫に変遷すると同時に販売店でも冷蔵庫を置くようになったのではないか?

乾物や漬け物など保存食を除き、生鮮食料品は当日又は二三日内に食べ尽くしてしまうべきものだった。そのためその日必要な食料品だけを地元の商店街に行って買う。牛乳も例外でなかった。ところがいつころからだろうか?スーパーに行けばいつでも何処でも牛乳を買える時代になっていた。そういった背景の為か、昭和63年に保証乳業は倒産、その後アサヒビールの傘下になり一部は興真乳業に吸収されたらしい。

28 松戸製氷−本町

松戸駅西口を降りて現在のボックスヒル沿いの道を柏方面に少し歩くと松戸製氷があった。松戸製氷は間口が広く、全体が冷凍倉庫のような造りになっていた。又、トラックが容易に着けられるように一段床があがった様な構造だったような気がする(一メートルくらいの高さ)。

又、全体として黒っぽい色の建物だった。いつ通っても、何人もの従業員がわさわさと働いていて大きなノコギリのようなものでシャカァ〜シャカァ〜と音を立てながら一貫目二貫目と切っていた。

お店の前に立つと夏でもヒヤ〜ッとした冷気が漂ってきて何とも印象的だった。松戸駅近くにあった松戸製氷は現在その先の「松戸の灸」まで駐車場になってしまって嘗ての雰囲気はない。松戸製氷は当時地下水を利用していた。ところが松戸駅ビルの建設に伴う杭工事、土工事の際大事な井水が濁る問題が生じた。その後水道水を使うようになったのかどうかは分からないが、場所を替え稔台で営業しているらしい。

27 秋本糸店−本町

秋本糸店は松戸駅前通りと旧水戸街道との交差点にあった。小学生として馴染みのある職種ではなかったが、ガラス越しに見える色とりどりのボタンが印象的で何となく眺めていたことがあった。今は大きなビルが建っていて秋本ビルになっていて一階には不動産屋が入っている。

26 アーバンヒル松戸−根本

1980年頃松戸市根本の現在のパークスカイタワー(マンション)の場所にアーバンヒル松戸というショッピング施設が出来た。設計はあの有名な黒川紀章氏。当時私は建築学科を卒業して間もない頃で、建築設計を目指す人間として革新的なこの建物を歓迎、非常に興味深く見ていた。

ところが、一般市民からは概ね後ろ向きの感想を聞いた。
・松戸駅からのアクセスが分かりにくい
・分かりやすい線路沿いの道はあるが途中にボックスヒルの搬出入口があり、ゴミが出たり入ったりしている。
・アーバンヒルのショップは空調された廊下がなく隣の店に行くのに雨の日は傘を差さないといけない。


それでも建物が出来た当初は賑やかだった。友人のAK氏を連れ立っていってみると、実に活気があり毎週週末にはチアリーダーやバンドで大賑わいだった。有名無名のミュージシャンも来ていた。

The Alfeeが1981(昭和五十六)年八月二十九日、ルースターズが1981(昭和五十六)年三月一日にコンサートした記録が残っている。浜田省吾も来ていたらしいが私は記憶がない。私と同年代のメンバーで構成されていた、松戸出身のバンド『ウシャコダ』もコンサートしていた筈だ。キュウリとトマトをジャケットにした『ウシャコダ』の「パワフルサラダ」というアルバムを買ったのもアーバンヒルが出来た頃だったと思う。
建物内には滝があり、床の溝に縁石も何も無くせせらぎがあったり、効率重視の既存のデパートに比べ各所にデザイン的に面白い要素を取り入れた建物であった。当初は分譲テナントであった筈で特にキーテナントという考えはなかったと思う。ただ、分譲だと店舗の入りが悪かった為、途中から賃貸で店舗が入るようになった。後にキーテナントが三越エレガンスとなった。同時に上部に見える看板の「Urban Hill」と書かれた文字がいつのまにか「三越エレガンス」に代わった(英字になったかどうかは忘れた)。最初は上品な売り方をしていたが、何故か一階で朝市と称し野菜を売り始めてしまった。野菜を売ることがいけない訳じゃないが、まるで道の駅のようになってしまい、上品で高級品を扱うこの施設のイメージとのギャップが大きくなってしまったと思う。

雨の日に傘をささないと隣の店舗に行けないという事も手伝ったのか、徐々に客が離れ、お店が一店又一店と消えていった。三年くらい経つとイベントも行われず、すっかり元気がなくなり「サンリオ映画館」、花屋の「フローリスト金子」とモデルガンの「ターゲット」が頑張っていた。
暫くして「ターゲット」や「フローリスト金子」が抜けると映画館を除きショップゾーンはロックアウトされた状態が長い間続いた。

幽霊が出るなんて噂もあったがそれは眉唾であろう。モデルガンの「ターゲット」は根本橋脇に店舗を移していたが、2008年現在店は閉まったままだ。いち早く出てしまった串揚げ屋さんは直ぐ近くのビルで、串揚げ「味」として営業していたが数年前店をたたんだ。