表の家

昔日の松戸41-45


45 レストラン・リーヴ−本町駅前通り

松戸駅西口商店街にアーケードの掛かっていた頃、それはほんの数年前までだが荒川電機の先に
ひっそりとその店はあった。薄暗い入り口からウナギの寝床の様な店内に入ると店内はコンパクトに
まとまっていて、それほど狭くない感じを受けた。正面はキッチンでシェフが調理している姿が見え、
料理を運ぶ老齢の女性がそそくさと客席とキッチンの間を行き来していた。ここは気さくなフレンチレ
ストランで若い客よりむしろ年配のお客が目立つ店だった。私はここのエスカルゴが気に入ってい
た。

殻無しエスカルゴの伝統的な作り方だったと思う。バターにニンニク及びパセリをすり込んだエスカ
ルゴバターにエスカルゴを和え、これをたこ焼きの器様に半球のくぼみが六つある鉄板にのせ焼か
れて出てくる。これを薄切りのフランスパンに載せて食べる。ジュージュー音のする鉄板の上に鼻を
近づけると、ニンニクとバターの渾然一体となった芳香が漂う。

この瞬間、エスカルゴを食べる上において最も至福の境地に達する。リーヴのエスカルゴは、ニンニ
クの香りに加え微かな酸味を感じた。店主には確認しなかったが、焼く時に酸味のある白ワインが
使われていたのじゃないか?或いはブルゴーニュ地方の酸味のある赤ワイン・・・

お店は数年前すでにたたまれてしまい確認のしようも無い。今は新しいビルになって美容院などいく
つかのテナントが入っている。リーヴに通おうと思ったのが閉店の直前だったのが悔やまれる。店主
とも話らしい話はしなかった。

店をたたんだ直後、店の入り口の扉に「お店を再開してほしい」という趣旨のA4大の紙が暫く貼って
あった。多分近所に住む熱心な顧客だったに違いない。私は今でも再開して欲しいと思っている。

44 スイスイ床屋さん−竹ヶ花踏切付近

あれは私がまだ小学校低学年の頃、竹ヶ花の踏切を西に超え、ほんの二、三軒先に床屋があった(現在の「居酒屋しぐれ」の辺り)。ご主人のイメージは丸顔で目がくりっとして、おでこが広く髪の毛が癖毛(或いはパンチパーマ?)。

石川進さんというタレントを覚えているだろうか?石川進さんはオバキューの主題歌を歌っていた人で、おはよう子供ショーではキューピーちゃんの愛称で呼ばれていた。まるで石川進さん(つまり、キューピーちゃん)が白衣を着て床屋になっちゃったぁ……そんなイメージの人。

カットが終わると次は顔剃り。顔に蒸しタオルを被せ、正面の鏡の付近にあった短冊状の馬皮のナイフ研ぎに向かい、端を持ちスイスイと研ぐ。当時植木等のスーダラ節が流行、私は「スーダラ節が大好き」だった。あの歌を聴くと無性に笑いがこみ上げる。
それを聞いたご主人「私もスーダラ節が好きだ」と言い、スーダラ節を歌いながら顔剃りを始めた。
「チョイト一杯のつもりで飲んで、いつの間にやらハシゴ酒、気がつきゃホームのベンチでゴロ寝、これじゃ身体にいいわきゃないよ、分かっちゃいるけどやめられねえ♪」
ここまでは良い。次が問題だった。
「ア ホレ スイスイ スーララッタ スラスラ スイスイスイ♪」

というサビの部分に入ると、このご主人、急に熱が入り顔剃りがリズミカルになった。スイスイに合わせて顔を剃る。

「スイスイ スーララッタスラスラ スイスイスイスイスイ スーララッタスラスラ スイスイスイスイスイ スーララッタスーララッタ スイスイ♪」

こんなリズムに合わせて顔そりをやられたらたまったもんじゃない。私が笑う−スイスイスイ−笑う−スイスイスイと繰り返す。ご主人もすっかり興に入ってしまいスイスイスイばかりが連続して、いつの間にか歌では無くなる。
スイスイの度にご主人の目つきも変わってきて、夢中になっているのが良く分かる。実に面白、おかしいのだが、ヒッチコックの映画に感じるような一種の恐怖感も伴い、剃られる本人としては複雑な心境で、子供心にも「止めて〜!」だった。

あのご主人どうしているかなあ・・・

43 インベーダーハウス−本町日発ビル

松戸駅西口を降りて交番の前の寿司屋辺りにある建物、元マクドナルドの入っていたビル。現在はコンビニが入っている日発ビルだ。ここは一階がマクドナルドで二階がゲームセンターだった時期があった。店名は「インベーダーハウス」

この日発ビルは平面的にくびれていて、敷地が小さな正方形と大きな正方形が斜めに接しているような間取りになっている。多分地権の問題だと思う。おおよそあのビルに入っているテナントは入り口は小さくが奥がだだっ広い造りになっている。

ゲーム好きな友人に誘われるまま、この日発ビルのゲームセンター「インベーダーハウス」に通ったものだ。当時は私もまだまだ若いというよりもガキの頃だ。夜中の一時過ぎに店に入ると、店の奥の方からいきなり「タスケテー〜」という奇妙な声が聞こえる。

なんだ?なんだ!と行ってみると、誰もいない。様子をうかがっていると「タスケテー!三百点」なんて言っている。これは「スピーク&レスキュー」というゲームであったことを後に知った。当時のゲームというのは効果音はあっても、喋るという発想は無かったので、実に驚かされたものだ。新風営法前でゲームセンターに営業時間の制限が無かったので、中には二十四時間営業の店もあったが、この日発ビルのゲームセンターは午前二時まで営業していた。何故二時かと言えば、どうやら上野発松戸行き最終電車が午前一時時十分頃に到着したかららしい。

終電間際はタクシー乗り場が殺到し、順番が回ってくるまで三〜四十分はかかる。だから、その待ち時間をゲームセンターで暇つぶしをしようという人にターゲットを絞っていたらしい。それで午前二時まで営業。
当時店番をしていた人は今でも交流がある。 お猿さんのイラストはふゆきさんの「職業別イラスト」より拝借。

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42 回転レストラン「ブルースカイラウンジ」−ニューオータニ松戸

かつての松戸ビルヂングの最上層にあったニューオータニ松戸。十四〜二十階が全てニューオータニの関連施設でレストラン、宴会場、結婚式場、写場などの施設まで揃っていた。ただし、宿泊設備は無かった。

これらの施設の中でもっとも馴染みのあった施設は、最上階(二十階)の回転レストラン「ブルースカイラウンジ」だった。地上七十メートルの高さから見る景色は絶景で度々利用した。千五百八十円で食べ放題のランチがあり人気もあった。回転レストランと言うと何となく構造物全体が回るようなイメージを持ってしまうが、実際は床の一部が回るだけだった。東京のニューオータニホテル本館の回転レストランと同じ方式で、床のターンが廻る。軍艦の回転砲台から応用し設計された。

食べ放題のバイキング(ビュッフェ)がメインで皿を持って料理を取りに行くスタイル。ただ、のんびり料理選びしていると、いつのまにか床が回転し、自分の座っていたテーブルの位置が完全に変わってしまうので、、困惑するおばあちゃんが自分の席を探す姿もあった。このニューオータニ松戸も数年前閉店してしまった。現在は松戸駅東口に聖徳大学の生涯学習棟の最上階で「スパンカ」というレストラン名で営業している。これはHRTニューオータニというニューオータニホテルの系列。見晴らしは良いはずなので一度寄ってみたいが学校内のレストランという事で日曜祭日は営業していないのが難点。
ニューオータニ松戸
1974年(昭和四十九年)開業
2003年(平成十五年)閉店。

41 長崎屋−イセタン脇

長崎屋の店舗1986年当時の住宅地図に階ごとの店舗が書いてあったので、記録として残す。
屋上
七階 「ルネッサンス」フィットネススクール, 事務所
六階 事務所
五階 ディスカウンタoff, 墓石・霊地「昭和石材」
四階 呉服「かのこ」 和装はきもの「久季」
三階 スナックピロット、チビッコランド、ベビー休憩室
二階 手芸「ルビアン」、ジュニアー「L&B」、時計コスモ、ロイヤルメガネ、L・LLショップ「ナヲミ」
一階 アクセサリー「ロミ」、生花「花ふじ」、DPE「ダイヤカラー」、自然食品「ヒロ」
地下階 総合食料品
                    

何故かゲームコーナーが無いがこの当時は長崎屋が元気の無かった頃だろうか?又、六階か七階に電器製品の売り場やレコードの新星堂があったと思うが何故かこの時期は無かったらしい。