表の家

表の家を作ったきっかけ




撮らなかった写真と心の影ー表の家ホームページを作ろうと思ったきっかけ


日本経済新聞夕刊において、真っ先に読む記事に「明日への話題」というコラムがある。先日「撮らなかった写真」と題された作家柴田翔さんの印象的なコラムがあり、心の琴線に触れた。

撮らなかった写真(作家柴田翔さん)」
根が無精なので、写真もほとんど撮らない。子どもが小さいうちは、それでも妻が撮った写真に住まいの周辺の風物や街の風景が少し写っているが、それもせいぜい十年ほどの間のことだった。東京の西の郊外に越してきて、三十数年になる。JRの駅から商店街を抜け、大きな環状道路を越えると、十数分で自宅に着くが、その間の風景もずいぶん変わった。越してきた時分は、どんな様子だったのだろう。駅前から商店街へはいる角の店は何だったのか。奥に老婆の座る駄菓子屋は、いまの牛丼屋チェーンの辺りだろうか。思い出そうとしても、もう判らない。ただ当時の街の雰囲気ばかりが、いくぶんくすんだ感じで、漠然と見えてくる。写真でも、あの頃、もう少し撮っておけば良かった____。軽い後悔に似た気分になるのは、そういう時だが、それはいったい何故だろう。古い写真に写る昔の町の中に、自分はいったい何を探したいのか。それはおそらく風景そのものではない。自分の人生の中心が、ざっと三十代から六十代半ばまでだとすれば、私にとってのその年月は、日々通ったその道筋の変容のうちに隠れている。大きな事件よりも、その道の気付きもしない僅かな変化の積み重ねのうちに、自分の日々はあった。撮らなかった写真で感じる後悔に似たものは、多分そう思い返す心の影なのだ。
―――後半略―――」日本経済新聞, 平成19年7月3日より


この一文に「我が意を得たりと膝を打つ」思いだったわけです。

私は平成12年、四年間勤務した香港から帰国した。ある日目的もなく松戸の街を歩いていると、その変容ぶりに改めて驚かされた。サラ金の看板が妙に目立ち、大きいビルはあるけれどもう一つ元気がない。よく通ったパチンコ屋さんも名前が変わっている。私の子どもの頃の松戸はこういう街ではなかった。なによりも活気が違う。ふれあう街角がそこにあった。勿論、良いことばかりではない、怖い思い出もあった。その善悪全てひっくるめ、私の人生そのものが松戸の街にあった。どうしてもその思い出、記憶を蘇らせ総括したい気持ちになり、松戸の昔の写真を探そうと試みた。ところが思ったほど無い。私の育った時代以前の写真はあっても私の時代(昭和30年代以降)の写真が見つからない。それでも図書館通いを重ねいくつか見つかった。

昔の写真を使いホームページを作成したいと思った。でも僅かしか無い。しかも他人が撮影した写真だ。これではホームページ然とした数頁で完結するものは出来ても発展がない。著作権の問題もどう解決したらいいのか分からない。とても豊富なコンテンツにはなり得ないし、長続きもしないだろう。

写真が無ければ文章で作るしかない。それが「表の家」を作るきっかけ……

当初はただ懐古から始まった刹那的な感傷に過ぎなかったが、コンテンツを重ねるうち写真では表現できなくても、文章だからこそ出来得ると思うようになった。

上のコラムの柴田翔氏曰く
「大きな事件よりも、その道の気付きもしない僅かな変化の積み重ねのうちに、自分の日々はあった」
「撮らなかった写真で感じる後悔に似たものは、多分そう思い返す心の影なのだ」


私が表の家ではそのままにして時が経ってしまったら、みんな忘れてしまうような日常、その日常の中の僅かな変化を書きたい。そう思った。
これは多分「後悔に似た心の影」なのかもしれないなあぁ〜