表の家

つれづれなるままに6-10


10 あなたはそれでもミシュランガイドを買いますか?


去年ミシュランガイド2008東京版を話題のタネとして買った。予想していた事だが、中身を見ると高級店の羅列であまりに我々の生活と乖離している。
「いえ、ミシュランとはそもそも高級店を扱うのだから、そういうものだよ」と反論されそうだが、何となく安易でつまらないと思う。
うがった見方をする人にとっては「金さえあれば誰でも作れる……」と言うかもしれない。
自分の行った店もあった。某川魚の専門の店だったが、高い店を承知で行ったが従業員が多くて落ち着かず、なんとなく人件費を食べているような気持ちになったものだ。

2008年東京版は事業として成功したらしく2009年版も出ているらしい。ああいう情報を必要としている人は買えばよろしい。
私はもういいや。一度買えば十分。

同時にミシュランの肩を持つわけではないが、食の世界は確かに1+1=2の部分もある(ただしそれが全部ではない)。
外食に限らず材料を吟味して、しっかり手をかけた料理はどうしても割高になってしまう。
「同じ料理を激安居酒屋で」と言われてもどだい無理な注文であるといえる。
しかし激安居酒屋で客の目と舌を誤魔化すための高級料理店風に真似事は出来ると思う。
たいていの人はその似たような事に満足して「あの店は安くて美味しい」という評価をするはずだ。
美味しい食を求める人の大半は案外そんなものではなかろうか?と考えるがいかに。

 ・本当に高級な食材を理解して食べた上で「美味しい」と言うのか?
 ・高いと思っていた食材を(何らかの工夫をされて)安く食べられたから「美味しい」と言うの か?
 ・美味しいのか美味しくないのか分からないけど高級なレストランで、高い食材だから「美味しい」と評価しないと馬鹿にされるから、「美味しい」と言うのか?

実際はこのどれにも当てはまらないかもしれないが、案外本人もそこまで考えていないかもしれないし、得てして分からないかもしれないのだ。
勿論人それぞれ味覚も違うだろうし、評価は十人十色で当然だ。
でも、果たして美味しいとは一体何だろうか?美味しさの実体はあるのだろうか?

虎ノ門に客に対してぞんざいで、茹で置き&オリーブオイルでギトギトになったパスタを出すスパゲティ屋さんがある。
ここは行列の出来る店で、評価の分かれる店だけれども、並んでいる人々に言わせると「ここの店は美味しい」らしい。
愛宕の近くに行列の出来る立ち食いそば屋がある。あの店のそばは食べると胸焼けするし蕎麦つゆも甘すぎる。しかし今日も行列が出来ていた。
これらの店を見ると人の味覚とはどういうものなのか、美味しさとは何なのか疑問を感じてしまう。行列とは果たして参考になるのだろうか?

「人を驚喜させる美味しさとは`油分`と`甘み`」と聞いた事がある。
人気の高い牛丼、ケーキ、クッキー、パン、みんな`油分`と`甘み`に関連している。
鯖だって、油分の無いゴマサバよりも油分の多いマサバの方が(多分)人気が高いのではないか?

そうやって考えると、今まで美味しいと思っていた店が果たしてどういう店なのか一度じっくりと考えてみるのも面白いと思う。
実際は甘さや油に騙されていたりして……

9.蛙をつる方法−悪い遊びその10


トンボを糸で縛り竹の先にぶら下げてトノサマガエルの目玉の先で上げ下げする。大口を開けてパクリと蛙は呑み込む。もぐもぐ二三度頬をふくらませて頬張っている。羽根がのどにつかえて目を白黒させるが、そのうちやっと呑み込むと、もう知らぬ顔をきめこむ。その頃に口のふちに垂れた釣り糸に気がつく。両手で糸をとろうとする、そこを魚つりのコツで釣り上げる。餌のトンボに付いた糸はとっくに腹の中まで入っておるので蛙はビックリ仰天、今度は本当に大目玉を白黒させながら呑み込んだトンボを吐き出すことになる。
自然読本(野村季樹著、財務出版株式会社発行、昭和48年度初版)より
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カエル釣りは私はやったことがないが、これを読んでみて是非やってみたくなってしまった。
ただ、トンボは別にしてカエルも最近は竹ヶ花界隈にはあまり見かけないので現地調達になるところが面倒だなあ〜!トンボもイトトンボくらいにしないと口に入らないかもしれないなあ……

8 洒落た会話とアイデンティティ


再び、FM東京サントリー・サタデイ・ウェイティングバー「アバンティ」のお話!フランス在住の翻訳家松本百合子さんが出演していた。
お話の中で「フランスの社交界では初めて会った男女の間でも恋が芽生えても不思議がないくらいの空気を持つ」という。
なるほどフランス人らしいなあ〜と思い聞いていた。

ただ、松本さんが初めてフランスに訪れた頃の話がちょっと引っかかった。
レストランでフランス人から口説きまがい(それは単なるプレイ、社交辞令の類なのだが)の`今晩の食後お誘い`の言葉遊びについていけず、断って帰ってきてしまった自分を「洒落た会話の分からないダサイ女だった」という。

私はこんな風に思っていた。
「松本さん!そんな事ありませんよ!ウブな松本さんだって魅力じゃないですか!
何もフランス人に合わせなくたって……!」

そのお話以降はいかにフランスが素敵な所だという事を言いたかったのかもしれないが、何となくしっくりと来ない。
そして、その発言とそれ以降の言葉は裏腹にこんな風に言っているように聞こえたのだった。
「今の自分は違うわよ!フランス人並みなのよ」

このように聞こえ始めると途端につまらない話に聞こえてしまった。

私が勝手に思い込んでしまったのかもしれないが、日本人としてのアイデンティティの無さを感じてしまい残念だった。
松本さん、アイデンティティが無い(或いは無くす)方が余程ダサイと考えますが、いかが?

とは云うものの、パリ旅行中、スフレが有名な店で食べたら美味しかったなあ〜

7 劇団昴「修道女」


友人が所属する劇団昴で現在公演中の「修道女(ドニディドロ原作・マーガレットフォーサイス脚色)」を観劇した。
場所は東武東上線大山駅付近にあるサイスタジオ大山。
60人も入ればいっぱいになってしまうミニシアター。
舞台を中央に前後及び横に着席する一風変わった構成だ。直近に舞台裏が無いため、花道を通り控え室で準備する形らしい。

「修道女」とはフランス革命(1789年)以前に書かれたお話で、当時の不平等な世の中で修道女にされてしまう主人公が自由の身になるはかない夢だけの為に修道院で生きていく物語。

内容としては体制批判的な筋書きのかなり激しい内容で、教会侮辱などの理由で一時期発禁になっていたのも頷ける。
それだけに劇が始まるとぐ〜と引き寄せられ、休憩を忘れ、あっという間に終了まで夢中になってしまう……
まるで金縛りにあったようだ。
そんな魔力さえ感じる脚本、そして出演者の演技力が我々をして魅了する。

ミニシアターは独特の楽しさがある。出演者の表情が身近に見て取れる。息使いが伝わってくるようだ。シャンパンでも飲みながら観劇できたら嬉しいのだが、日本の観劇はそういう事を許してくれないのだろう。

詳細は

http://www.theatercompany-subaru.com/public.html#10
9月26日まで公演している。

6手紙を書くという事 


もうそろそろ年賀状を書くシーズンになる。パソコンがあれば一気に出来てしまうが、それでも年賀状は大変だ。
ただ、印刷所に頼んだりパソコンで作った年賀状はどれも画一的で面白くないね。印刷宛名も良くない。個性が無い。手書きの頃は差出人のくせ字、下手字が本人の顔を思い出させ、他の事を書かなくても「相変わらずだよ!」と無言で主張していたと思う。これは自分への反省でもあるなあ。
裏のデザインは流石にパソコンで作るが、宛名は手書きにする事にした(否、今年もすると思う)。

さて、先日九十一歳になる方に手紙を差し出した。松戸の歴史についてお伺いしたかったからだ。

元々竹ヶ花在住で竹ヶ花連合会長も着任されていた方、土地、歴史の事について生き字引の如く詳しい。ただ現在のお住まいは中金杉なので会う機会が無い。
先日ご自身の象牙作品の展示会があり日本橋高島屋に見に行ったが本人は不在でお会い出来なかった。
ダイレクトに電話をするのも不躾かと思い、先ずは手紙でご挨拶を送ることにした。
文案はパソコンで考えたが仕上げは手書きにした。切手を貼り郵便ポストに入れる。

いつ届くかな……?
数日後、もう読んでくれたかな?
そして、返事を下さるだろうか?

と思っている矢先にご本人から竹ヶ花在住時代に仲の良かったNさんに電話が入ったらしい。
私が差し出した手紙を読んだ事がNさんに伝わった。
Nさんが母に話して下さった事で分かった。
ご本人は我が家の事、父母の事はよく知っているが私自身の事はご存じない。
直接電話があるかもと思ったが、ご本人から我が家への電話は無かった。

となると返事を書いてくださるのだろうか?
そう思うと毎日ポストを見るのが楽しみになった。
心がときめく。

電話やEメールに慣れてしまった現在、手紙のお返事を期待する気持ちは暫く忘れていた感情かもしれない。
歴史について教えていただける内容以上の何かがある。
ワクワクする。新鮮な喜びと言っても良い。
手紙のやりとりは時間がかかる。しかし、体のリズムにスイングしてくる何かがある。
時間が掛かる事は悪いことではないのだ。

昨晩、お返事を受け取った。
とても丁寧な返事だった。