表の家

昔日の松戸11-15


15 とんかつほそや−根本商店街

コンビニは生活必需品、飲み物、食事、雑誌、映画など大抵の商品は手に入る。昔からある小売商
店を大切にしたい気持ちと同時に、コンビニは我々の生活に密着し離れられなくなっている。
こんなに便利なコンビニが松戸に全く存在していなかった昭和四十年代、お腹がすくとコロッケ屋さ
んに立ち寄った。

とんかつ・ほそやさんは旧水戸街道沿いで現セブンイレブン根本店付近にあった。間口が一間程度
の小さなお店で、緑色デコラ張りの受け渡しカウンター。まだ背の低かった私の首くらいの高さだっ
た。カウンターを向かって右側ガラスの保温陳列棚の中に揚げたコロッケやその他のフライが入っ
ている。

コロッケもフライも子供のお小遣いで買える手頃な値段だった。ジャガイモのフライが5円で3個だっ
たと思う。現在の様なファーストフード店なんてものは松戸の街には一切無い時代で、子供がコロッ
ケ屋に通う光景は極当たり前の事だったと思う。冬、寒い時期そろばん塾に通う途中で立ち寄る。知
人から「そろばん塾に通う途中、コロッケ屋に寄ったのは松戸に限ったことではないよ」と言わ
れた。寒い日に経木に包んだコロッケやフライを手にするととても暖かくなった。
ああ、経木で無くて単なる紙だったかもしれない。

14 二葉屋酒店−根本

根本の花沢燃料屋さんの先に二葉屋さんがあった。二葉屋は屋号、店名は吉川酒店。店舗は旧水戸街道沿いに相応しい、木造平屋の旧式日本建築で中に入ると暗い、いかにも昔の酒屋さんだった。

当時は量り売りの時代だったらしく、酒だけでなく醤油なども量り売りしていた。ご主人がマスさんで細身で赤ら顔をしていて実直で真面目な人というイメージ。二葉屋のおばさんはいつも白い割烹着を着て、目がクリッとして快活で話好き、とても明るい人だった。そもそも子供が酒屋に用事などないのだが、何故か親切にしてもらった記憶がある。長男はマーちゃん、お父さん似で背が高かった。マーちゃんは私より二歳年上で根本保育園の先輩。根本保育園の学芸会でマーちゃんは熊役だった。熊は金太郎に投げられる脇役である。ところがマーちゃん熊は主役の金太郎を投げてしまった。

父は晩酌の時よくビールを飲んだ。そこで父の誕生日にビールをプレゼントしようと思い立ち、二葉屋に買いに行ったことがある。値段を聞くと意外に高くお小遣いの範囲を超えていたので、一番安いぐい飲み大の瓶ビールを買った覚えがある。両親からもらったお小遣いでプレゼントを買うわけで、冷静に考えると妙なお金のフローになる。
とはいうものの大層喜ばれた。

また、父があまり美味しそうにビールを飲んでいる姿に憧れ、小学生の低学年の分際でビールを一口飲んでしまったことがある。気持ち悪くなって全部吐いてしまった挙句私はこんな事を言った。
「僕は一生、ビールなんか飲まない。お酒なんかきらいだ」

その私がどうなったかは周りの人はよくご存じだと思う。

写真は二葉屋のあった建物
数十年前に確かビル建設の計画の為だったと思うが、ご家族は引越してしまった。今は何処にお住まいなのかは知らない。

13 根本保育園−根本吉祥寺付近

第一次ベビーブームが昭和二十二年から二十四年頃で、第二次ベビーブームが昭和四十五年から四十九年頃であるとすれば私はその谷間に産まれた事になる。
私が幼稚園に入る頃は第一次ベビーブームによって幼稚園の不足はなかったと思うが、はたしてどうだろうか?
中部小学校附属幼稚園は大正時代からある歴史ある幼稚園、現イトーヨーカドー建設前には聖ミカエル幼稚園があった。私が作務衣や浴衣を購入した松戸駅西口の岡田屋さんのご主人は聖ミカエル幼稚園ご出身らしい。

私は根本保育園で三年保育。
根本吉祥寺お墓北側にあった根本保育園に通うには、金山神社の境内を通り踏切を渡り、内山医院や納豆屋さんの路地を通る。根本保育園の土地は吉祥寺からの借地。南花島、根本、竹ヶ花に住んでいる友人の多くはこの根本保育園に通っていた。近所に住んでいるススムちゃん、南花島のミエちゃん(故人)、金山神社付近に住んでいたカズミちゃんは同級生。一年先輩として竹ヶ花の材木屋のソウちゃん、そしてシロちゃん等。

保母さんは川村先生。とても綺麗な先生という思い出がある。当時、私はいたずらっ子で、この川村先生には相当面倒を掛けた。一年に一度講堂で学芸会(お遊戯会)が催され父兄が参観する。演題は浦島太郎、金太郎、桃太郎のような物語。私はそもそも演技力など一切無く二年目までは端役で金太郎の熊役をやった。分相応。 熊役は金太郎と相撲をとって投げられるだけの役、誰でも出来る。ただ、中には熊役のくせに主人公の金太郎を投げてしまう子も現れ、これが父兄の爆笑を呼ぶ。

写真は金太郎が演じられまさにこれから相撲をとるところ。この中に私が熊役で出てます。分かるかな?
演技力のない私だったが、流石に先生も三年目は桃太郎の主役を与えてくれた。桃太郎はそもそも材木屋のソウちゃんが演じた由緒正しき役。お遊戯会の花形。

しかもソウちゃんは裕福な家庭なので特注衣装も持っていて格好良い桃太郎だった。私の三年目に材木屋のソウちゃんが卒業、その特注衣装をソウちゃんの家から借り受け桃太郎を演技することになった。端役の経験しかない私は腰巾着からキビ団子が中々出なくて両親や先生をハラハラさせた。

根本保育園はいつしか廃園。いつだったか、川村先生が家を訪ねてきた。見れば単なるおばさんに過ぎなかった。彼女は単なる保険の外交員になっていた。かつての教え子の家を勧誘して回っているのだろう。可哀そうだが保険の外交員は余程でない限り歓迎されない。先生の素敵なイメージが化石になってしまった!

12 アリタフルーツパーラ−松戸駅西口駅前

松戸駅は区画整理を境に随分とそのイメージが変わった。区画整理前の松戸駅駅舎は木造の小さな建物。西口から駅舎に入った直ぐ右に切符売り場があった。改札はその切符売り場に面してありそのまま一番線に入る。二番線のホームへは階段で登っていく。茨城県、JR水戸線に笠間という駅があるがまさにああいう田舎の駅だった。それが昭和40年代の区画整理の時代を経て今の形になった。
魚処吉泉のご主人によれば「松戸駅前現在の新角ビルの辺りに弁当屋があったよ。駅弁として売っていた。その付近に街頭テレビもあった」と語っていた。
多分、岩田さんの新角屋だと思う。
また、近所の大先輩のN氏によれば「西口のロータリーはもっと小さかった」

松戸の駅弁は殆ど記憶に無い。
ロータリーはそんなに小さかったのだろうか?
子供の頃なので全体にサイズが大きく見えていたのかもしれない。
松戸駅西口に出て先ず目に付くのは、アリタの果物売り場と二階のフルーツパーラー。
子供心にアリタのファサードは魅力的。

私は二階に入った記憶は無い。
母によれば当初は二階のパーラーは無かったらしい。
二階のパーラーは後から開店したのだろう。二階のパーラーからは当時富士山が見えたらしい。
今の松戸駅周辺を見ると信じられないが当時は大きな建物は殆ど無かったのだろう。

フルーツパーラーと言えば、チョコレートパフェ、フルーツサンデーなどを思い浮かべる。
フルートグラスのような深いガラス器にこれでもか!と言わんばかりにアイスやクリームや果物などが盛られている。
長いスプーンでこぼれないように食べる。食べ始めに苦労する。
クリームソーダ…
紙の袋に入ったストローが長いガラス器に縦に添わせてサービスされる。
竹ヶ花のやきそば○○○○でもクリームソーダ等の飲み物を提供していた。
冷たい飲み物には紙袋入りストローをガラス器に添わせ提供する。

広告に「定評の果物 松戸で銀座の食事」と書いてある。
銀座というと不二家の様なイメージの店にしたかったのだろうか?
東京の果物屋さんにフルーツパーラーを併設する高級果物屋さんというスタイルがあった。
そんなイメージにしたかったのだろう。

11 長野輪業−根本商店街

長野輪業さんは現在よし寿司の隣に店を構えているが、元々根本郵便局の隣で自転車屋さんを営んでいた。木造平屋のいかにも水戸街道沿いの歴史的建造物といったイメージを残していた。軒先の犬走りにはたくさんの自転車が置かれていて、それは歩道側にもあふれていた。 入り口は木製のガラス引き戸。中も外も土間で、何とも油臭かった。

正面奥には座敷への上がり框、色々な来客がきてはその框に座り雑談をしていった。私もその中の一人だった。当時はまだ私が大学生で時間を持て余していたのだ。夕方、酒盛りが始まることもあった。ラーメン太郎の職人ミシバさん、金山神社付近に住んでいたエビさん、テーラーキワの職人のフルちゃんが常連だった。、みなさん多かれ少なかれ訛りがあった。あれは松戸訛りだったと思う。松戸訛りは聞き分けられてもしゃべることは出来ない。夕方閉店時間になると自転車等全て店舗の中にしまう。白いカーテンと共にガラス戸を閉め白い軽トラックをガラス戸ギリギリにとめて終了。

そういえば子供の頃は長野さんと根本郵便局の間には路地があり新坂川まで抜けられた。生け垣と生け垣に囲まれたいかにもヤブ蚊にさされそうな路地だった。路地途中に私の同級生の女の子、西沢さんが住んでいた。数年前にこの路地を通ろうとしたら路地も西沢宅も無くなっていて、びっしりと住宅がブロックして新坂川まで抜けられなくなっていた。長野さんを始めお客さん数人で原動機付き自転車でツーリングをした事がある。銚子に初日の出を見に行ったり、大利根温泉に行った。

時は流れる。

数年前、長野輪業さんが入っていた木造の歴史的建造物は壊される事になった。大家さんが裏の駐車場等を整理しマンションを建てる計画があったからで、長野さんは余儀なくお店の移動をせざるを得なくなった。暫くして、よし寿司の隣の建物、以前レンタルビデオ屋さんであった所に移ることになった。大きく黄色いテント看板に100円レンタルと書かれた場所。旧長野輪業跡地は現在マンションになっていて、私の飲み友達も住んでいる。