表の家

昔日の松戸16-20


20 松戸の野犬

「にわとりを襲う野犬:昼は河原にひそみ、夕暮ともなると群れをなして襲う野犬のために、古ヶ崎あたりの農家では、これまで300羽に及ぶ鶏の被害をうけているそうです。常磐平では畑を荒し、上本郷では子供を襲うという野犬も出没しております。ただいま保健所にお願いして野犬狩りを強化し、当分実施して行きますので、皆さまの愛犬が巻き添えをうけないように、じゅうぶん管理をしてください」 広報まつどより
今現在松戸で、野犬らしき犬に出会う事はほとんどなくなった。当時は犬を放し飼いにする人が多
く、自由奔放に歩き回る飼い犬と野犬の区別が付かない。仮に飼い犬だとしても、犬は子供にとって
は恐怖の対象だった。犬と出遭えば噛みつかれるものだと思っていたし、同時に犬は頭の良い動物
で相手が子供だとなめてかかる。又、「狂犬病に感染した犬に噛まれ、発病した場合、気が狂ってヨ
ダレを垂らしながら死ぬ」と教えられた事も犬に対する恐怖を煽った。

友人のAK氏が子供の頃、伝兵衛新田付近にあった江戸川の中州に入ったら野犬の群れに囲まれ
てしまい、然し、AK氏は決して怯えず、棒を振り回しながら強気の姿勢を見せつつ退散した。

田畑と斜面林が多かい小根本公園付近で私も野犬に追いかけられた事がある。私は逃げた。犬は
追いかけてくる。私が止まる。犬も止まる。私は逃げた。犬は追いかけてくる…を何度も繰り返した。
多分飼い犬で、結局噛みつかれる事はなかったがやはり怖かった。野生を感じる犬や良く吠える
犬、云わば“犬らしい犬”は見かけなくなった。家の中で飼う事を前提にした小さい犬か血統書付き
の外国種。基本的に安全で可愛い犬ばかり・・・

それが良いことなのか憂慮すべき事なのか分からない。保健所の職員が長い柄の先に針金の輪の
付いた道具で犬狩りをする姿はほとんど見かけなくなった。

写真は1960年代の広報松戸の記事。

19 富士ラッキーボール−松戸本町

ある日、秋葉原と浅草に買い物に行った。横浜在住の納豆友人のYさんが同行して下さって、浅草の街を和気藹々と闊歩した。浅草六区にスマートボール屋があり懐かしくなり遊んだ。スマートボールは縦型のパチンコ台を横型ににしたようなもので、玉は直径2.5センチほどのビー玉を使う。そのビー玉を一つ一つ打ち盤面の中に作られた穴に入れる。それぞれの穴に5、10、15等点数がついている。入ればその個数のビー玉が盤面の上にガラガラガラと音を立てて流れて来る。この音が大きい。

子供の頃、亀有の駅前でそれとは違ったタイプのスマートボールをした事もある。それは横一列、縦一列、斜め一列を揃えると上がりというタイプ。当時はラッキーボールと言ったような気がするが正確には覚えていない。

松戸の西口、正華パチンコの裏通りに富士ラッキーボールがあった。少なくとも20年くらい前まではあった。隣が中華河野家。スマートボール(ラッキーボール?)数台とアレンジボールなどが置いてあり、スピード重視になりつつあったパチンコ屋に対抗してとてもノンビリムード溢れる癒しの空間だった。本来のパチンコの魅力に近い魅力があった。この富士ラッキーボールの店主のおばちゃんが実に良い人で時々玉を入れてくれる。海外常駐を繰り返しているうちに縁遠くなっていたが、やっと帰国したら店が無くなっていた。

実はこの富士ラッキーボールのおばちゃんは今でも健在で高砂通りに住んでいる。まつど祭りの日、ルンルンも出店していたが、ルンルンの屋台に富士ラッキーボールのおばちゃんも何か購入していた。故関根さんは義理がたい人なので人一倍恐縮していた。私は声を掛けたいのは山々だが掛けなかった。一介の客に過ぎなかった私の事までは覚えていないはずだから。

(写真はたまたま撮影した写真に富士のおばさんが写っていたものを利用。ただ、個人の写真なのでサイズは小さめにした)

18 靴修理 小暮さん−吉岡文具店隣


先に書いた吉岡文具店の横に靴修理の小暮さんが住んでいた。

今から二十年以上前のことだ。現在松戸駅付近には駅ビル、ダイエー、イトーヨーカドー、その他街角に修理屋さんがいたる所にあり消費者として困ることはほとんど無いが、当時は修理屋はそれほど多いわけではなかったので、決まった店に行くのが普通だったと思う。

当時の松戸駅付近の靴修理店についてはあまり覚えていない。竹ヶ花の旧職安通りを降りきったT字路、島根自動車修理場の手前にオガサワラさんという靴屋さんがあった。昭和三十七年の住宅地図を参照すると「美笠屋」と書いてあったが、屋号は記憶が薄い。ただし、そこで修理もしていたのかどうかも定かではない。

小暮さんは小太り(注1)で禿げて小さくて頑固な親父という感じだった。靴底が減らないように踵に靴金を打ってくれた。靴底が減ると靴底の修理と相成るが、これが不器用で仕上がりがすこぶる悪い。凸凹だらけ・・・当時、それをやむを得ず、或いは仕上がりが困ると感じるほどではなかった。それよりも靴修理とはこんなものだくらいに思っていた。現在いくら探しても小暮さんのような店は見当たらない。
(注1) 近所にお住いの大先輩N氏によればコグレさんは小暮と書き、細身ではないく小太りだったとの事、本文を修正した。ありがとうございます。
また、お名前は確か、小暮梅吉さんだったかもしれない。

17 吉岡文具店と北部堂ー松戸市立北部小学校旧正門前

松戸市立北部小学校の旧正門前に吉岡文具店があった。店の間口が狭く店内は全体に薄ら暗くて雑然として、何となく万引きが多発しそうなお店だった。勿論文具店なので文房具を売っていたが、くじ引きや駄菓子ばかりが目立つお店で放課後はよく利用した店だ。ここのお婆ちゃんは気丈な人だったがよくおつりを間違えた。

吉岡文具店=お婆ちゃんであり、子供にとって釣り銭間違えの評判は良くなかったけれど、暗かったのでお婆ちゃんも目が見えなかったのかもしれない。隣の北部堂文具店は眼鏡を掛けた背のすらっとしたおばさんがお店を構えていた。お店の入り口は広い間口で木製の引きガラス扉をガラガラっと開けて入る。

北西向きなので直射日光は入らないが、店中は端正でお店全体が見渡せ清潔な感じのお店だった。文具の品揃えという視点からは吉岡よりも北部堂の方がきちっとしていたように思うが、駄菓子の品揃えはやはり吉岡にはかなわなかった。北部堂の入り口に入ると左側に子供の背の高さに合わせた台があって、そこにくじ引きや駄菓子などが並んでおり、その奥におばさんが立っている。

「このくじは・・・なのよ」とか「シャープペンシルはノック式が流行っているのよ」と世間話のようにと話しかけてくれる優しそうなおばさんで、とても良い印象があった。

十〜十五年程前北部小の前を歩くと北部堂は無くすでに民家になっていた。しかし吉岡は細々と営業していた。吉岡のお姉さんが居た。三、四人兄弟のうちの次女。彼女は堀江おでん屋のかっちゃんとも仲良しで、私の生家の飲食店に来て下さった事もあった。文房具はすでに品揃えは乏しく駄菓子も殆ど無かった。
「おばあちゃんのやっていたようなお店だったしね、もうお店たたむのよ」と語っていた。
今はもう営業していない。

16 東光ゲームランド−高砂通り

そろばん塾からの帰路、同級生の故ミエちゃんとススムちゃんと三人で高砂通りにあるゲームセンターに行ったことがある。それは東光ゲームランド。当時ゲームセンターは不良のたむろする場として、学校からは一応ゲーム禁止だったにもかかわらずお店にいった。中に入り一番目だったのはフリッパーゲーム(別名:ピンボール)だった。フリッパーゲームは大型のスマートボールのようなもので、手前に下り勾配の盤面の中で転がってくる直径三センチくらいの鉄ボールをフリッパーと呼ばれるレバーでバタバタと跳ね返す。盤面のオブジェクトに当てることによりガチャン、チン・チン・チンという音と同時に点数が上がる。

現代のフリッパーゲームはデジタル表示になってイルミネーションもすっかりケバケバしくなったが、この当時のフリッパーゲームはすべてアナログでドラムがカチ・カチという音ともに回っていく。単純で簡素であった。

その他、原始的なドライブゲームもあった。蛇行する道路の真ん中に数十センチごとに凸があって、ハンドルで車をコントロールしながら、このポイントの上を車を通して点数があがる単純な方式。スピードもゆっくりで現在の高性能ゲームとは比較にならないが、それでも充分刺激的だった。クレーンゲームもあった。
クレーンで掴むのはラムネ菓子等の駄菓子だった。